アメリカとの安保条約締結で
返還の気運は立ち消えに

 いまや日本外交の最大級の目標となっている北方領土問題。それがはじめて国際社会で注目されたのは1951年のことだった。

 この年、日本は「サンフランシスコ平和条約」で千島列島と南樺太の領有を放棄する一方、北方四島は千島列島に含まれず日本の領土であると主張した。ところが、ソ連は四島が千島列島に含まれると主張したため、日本と対立することになったのである。

 その後、日本とソ連は四島の領有権をめぐり交渉を重ねていく。そのなかで何度か返還を実現するチャンスが訪れた。

 最初のチャンスは、日本とソ連が事実上国交を回復した1956年の「日ソ共同宣言」のときである。この宣言にはソ連が歯舞諸島と色丹島を日本に引き渡すことに同意する旨が明記されていた。日本は二島のみの返還では不満だったが、ソ連としては大きな譲歩だった。

 しかし、1960年に「日米新安全保障条約」が結ばれると、ソ連の態度は一転する。

 当時は東西冷戦の真っただなかだった。日本がソ連と敵対するアメリカと同盟を結んだことで、ソ連は警戒を強め、「領土問題は解決済み」と通告してきたのである。これで領土返還の可能性は立ち消えとなってしまった。

ソ連からロシアとなっても
日本は足元を見られ続ける

 それでも冷戦終結前後に大きなチャンスが訪れた。

 当時、ソ連の経済は崩壊していたこともあり、バブル期の日本では期待が膨らんだ。実際、2019年に公開された外交文書からは、1988年の中曽根首相(当時)とソ連のミハイル・ゴルバチョフ書記長との会談で、ソ連が態度を軟化させていたことがうかがえる。