もてはやされる「エモ文体」とはなにか

 エモ文体とおじさん構文の共通点に触れる前に、そもそも「エモ文体」とは何か、説明したい。

「エモ」とはエモーショナル(emotional)の略で、なんとも言い表せない素敵な気持ちになったときや、ある対象に対して“感情の変化”が起こったときに使われる若者言葉。「エモい」と表現される。

 このエモさを感じさせる文章に使われるのが、「エモ文体」というわけだ。SNSで「このnote、エモい!」などと評されている記事を読んだことがある人もいるかもしれない。

 しかし、エモ文体と言われるもので描かれる内容が感情を動かすものかといわれると、そうではない。実態は「エモくもないものをエモく仕立てる」文章技法だ。
 
 エモ文体と呼ばれるものにはある特徴がある。ただし、ここからはあくまでエモ文体をたくさん読んできた筆者の主観や、エモ文体を読んだ人の感想をもとに分析したものであることをご了承いただきたい。

 まずはひらがなの多用、独特の漢字の「ひらき方」である。例えば、次のような具合だ。

私→わたし
思い→おもい
不思議→ふしぎ

 意図は筆者には分からないが、柔らかい感じ、アンニュイでどこかメルヘンチックな雰囲気が出るようだ。
 
 また、エモ文体には、少し幼げな表現が頻出する。大人が通り過ぎてしまう何気ないことにも目をとめ、子どものような物事の見方をすることで、“あどけない、無垢さ”を印象づける効果がある。そして感情の動きや出来事を、少し大げさに盛って書くことで、エモさを醸し出すことができる。

 そのほかにもセンチメンタル、または哲学風な感じ、ないしはドラマチックな物語のような感じの表現、がある。もはや何が何だか…といった声も聞こえてきそうだが、実際にエモ文体を読んだことのある人なら、なんとなくおわかりいただけると思う。

 また、エモ文体は特にタイトル付けで顕著に表れる。

 タイトルとは、文章の顔であり、内容の要約の究極ともいえる。しかし、エモ文体の使われた文章では、タイトルだけではおよそ内容の見当がつかず、あえて想像をかき立てるようなものがつくことが多い。読者は文章を読んではじめてタイトルのさすところがわかり、「エモい」となるのである。
 
 さらにもう一つ特徴を挙げれば、物事を端的に書かず、膨らませて書くことだろう。エモ文体を観察していると、要旨を抜き出すとなんてことない内容をこねくり回し、くどくどと書いたものをよく目にする。

 細かく言えばもっとあるだろうが、エモ文体の説明はここまでにしておく。
 
 先に断っておくが、私はおじさん構文とエモ文体を批判したいわけではない。表現の可能性は無限であり、これらもひとつの文章表現であるともいえる。ただ、現代において一般的に揶揄されがちなおじさん構文と、支持を集めやすいエモ文体に共通点があることを指摘したいのである。