みずほが、不祥事を何度繰り返しても生まれ変われず、金融庁に「言うべきことを言わない、言われたことだけしかしない」と企業文化を酷評されるに至ったのはなぜか。その真相をえぐる本特集『みずほ「言われたことしかしない銀行」の真相』(全41回)の#21では、みずほの人事史において重要な時期の一つに焦点を当てる。
みずほが最初のシステム障害を起こしてから3年――。過去を振り返ったとき、東日本大震災の直後にみずほが起こした2度目のシステム障害の要因になったとの指摘もある人事が当時行われていた。未来の頭取候補と評された有力幹部が次々とみずほを放り出され、「役員連中は皆イエスマンになっている」という声が聞かれるようになった。さらに、旧3行の縄張り意識を色濃く反映した超絶バランス人事も続いていたのだ。
みずほが頭取候補を続々放逐
「役員連中は皆イエスマンになっている」
今年2005年5月。一時国有化されている足利銀行の受け皿候補に、突然、みずほFGの名前が浮上した。
「みずほは人も出すらしい」――。受け皿話自体がしぼんでしまったものの、銀行界ではそんなうわさまで駆け巡り、複数の役員の名がささやかれた。CB常務取締役の喜多野利和氏もその1人だった。
みずほ初代スリートップの1人で旧日本興業銀行頭取の西村正雄氏の秘書を務め、その手腕を高く評価されていた喜多野氏は、CBの次期頭取候補にも擬せられていた。にもかかわらず、なぜ名前が挙がったのか。