金閣寺 京都Photo:PIXTA

近代日本の文学界で、いろいろな意味で三島由紀夫ほど社会に衝撃を与え、今も読み継がれている作家もほかにいないだろう。三島といえば、東京・市ヶ谷の自衛隊駐屯地で割腹自殺をしたことでも知られている。センセーショナルな事件の一方、作品の完成度が非常に高く文壇で評価されてきた。特に彼の代表作『金閣寺』は、表現の巧みさにおいて群を抜いており、現代においても人々を魅了してやまない。本稿は、同書をひもときながら、三島が訴えたかったことについて考察する。(ライター 正木伸城)

もともと三島は
「天皇陛下万歳」ではなかった?

 こう言ってはなんだが、三島由紀夫はとにかくおもしろい。彼は、西洋の思想や文学を独自の仕方で取り込み、自身にある日本的な感覚にそれらを融合させて、小説などの作品にまとめあげた。筆者個人的には、特に「美」の描写に惹かれる。『金閣寺』はその観点において、ずば抜けていると思う。三島作品は、日本のみならず世界中で読まれている。

 しかし一方で、私たちは、三島由紀夫を受容できずにもいる。というより、どう受け止めていいのかがいまだにわからないでいる、といった方が正確かもしれない。なぜなら、彼が割腹自殺をしたからだ。あの最期とは何だったのか。あれは愚行なのか、はたまたそうではないのか。現在においてもさまざまな解釈が氾濫している。近代日本文学を代表する編み手の当時の心境は、やぶの中である。

 三島は、大正14(1925)年1月14日に生まれた。この生年からもわかるとおり、彼の満年齢は昭和の年号と一致する。三島の世代は、一般的には、第二次世界大戦・太平洋戦争の「敗戦」の影響を心理的にもっとも受けたとされる。敗戦時、彼らは20歳前後だった。この世代は、大戦に加担し、敗戦に対する「責任」を感じることのできるもっとも若い世代だ。