3度目の「歴史決議」採択
過去2回との違いとは
11月8~11日、北京で第19期中央委員会第6回全体会議(6中全会)が開かれ、「党の100年奮闘の重大成果と歴史経験に関する決議」(以下「歴史決議」)が採択された。習近平政権、そして中国の今後を左右し得る歴史的会議であったと筆者は考えている。
本稿では、6中全会をめぐる各種動向、および閉幕の翌日、12日に発表されたコミュニケ、同日に開催された記者会見などを基に、6中全会がなぜ歴史的会議であったといえるのか、習近平総書記(以下敬称略)は何をもくろんでいるのかを検証していきたい。
最大の焦点は、「歴史決議」を採択したことである。
「6中全会がなぜ歴史的会議であったといえるのか」という問いに結論的に答えるとすれば、中国共産党結党100周年、来秋に第20回党大会を控えるというタイミングで、党史上3回目の「歴史決議」を採択したという事実そのものが、6中全会が歴史的会議であったことを示唆している。
そして、それは、2035年、2049年を視野に党建設、国家運営を続ける習近平が、来秋以降も続投する、すなわち政権3期目に突入しようとしている意思を表している。
過去に採択された「歴史決議」は二つある。
一つ目は、1945年の第6期7中全会で採択された「若干の歴史問題に関する決議」。中国共産党の思想を教育する目的で行われ、党内反対派を粛清した「整風運動」を背景に、党の進路や政策に関する誤りを総括し一部党幹部に反省を要求したことによって、毛沢東が最高指導者としての歴史的地位を確立した。二つ目は、1981年の第11期6中全会で採択された「建国以来の党の若干の歴史問題に関する決議」。文化大革命の弊害と後遺症を総括することで、鄧小平が最高指導者としての歴史的地位を確立した。
2人の指導者が「歴史決議」を通じて歴史的地位を確立してきた経緯こそが、習近平が歴史決議を通じて実質「第3世代指導者」としての歴史的地位を確立しようとしている最大の根拠といえる。