必要とされる中身は
時代によって変化
【2】の時代以降の学歴を、(1)人的ネットワーク×(2)必要な知識技術の学習――の2つの面から考えてみたい。
学歴を【2】の時代の次元で捉えると、影響力のある官僚と近い状況を作ることが重要だとわかるだろう。ただし、現在は中央官僚がそこまで大きな力を持ち得なくなっており、官僚になりたい人も少なくなり、かつ、そこに近づく価値も下がっている。ゆえに東大法学部の人気は下がる。地方においては、まだ地方自治体や地方財界とのつながりが重要だから、そこにおいては、【2】の時代と同じように、地域一番高校の先輩後輩の関係を築いておくことが大きな意味を持ち、それは今後も継続されることがあるかもしれない。
【3】の時代の次元で捉えると、特定の会社に入るため、ひいては、社内の派閥に入るために、特定の大学の出身が有利という会社も依然として存在する。しかし、ここでは従来の学歴という価値はほぼ廃れてしまっている。そんな了見の会社は競争力がなくなっているだろう。社内の派閥闘争はいまだにあるが、人間関係の構築もずいぶん多元化しており、出身大学で固まるよりも、多様な人たちとお付き合いしておいた方が良いとみんなわかってきている。
【4】の時代の次元で捉えると、外国の企業とのつながりも重要でSDGs等の新しい国際社会ルールへの適応力も必要とされるから、外国の有力大学の大学や大学院に行って情報網を広げ、最新技術をマスターしておくことには大きな価値がある。グローバルな人的ネットワークと、英語力も今もって重要である。
といっても、いくらTOEICの点数が満点であろうと、言外のニュアンスの把握、文化的な背景などへの理解も含め、専門領域における海外の主要人物とツーカーで求められている返答ができるような、高いコミュニケーション能力がなければそれは英語力とはいえない。
最近COP26でも明らかになったように、そうしたコミュニケーション能力や人的ネットワークがない場合、世界標準や世界規格を作るときに世界会議の公式の場の前段階で「談合」をするインナーサークルに入れてもらえず、蚊帳の外なのだ。どんなに同時通訳のAIが進化したとしても、こうした外交上の交渉ができる英語力はまだ機械には無理であろうから、その意味での英語力の重要性は高いままであろう。留学もするに越したことはない。もちろん英語力は必要条件で十分条件ではない。なお、この時代は次の【5】の時代と地続きである。
最後に【5】の時代の次元で捉えると、大学や大学院で実質的なAIやデータサイエンスの学習をしているかどうか、選んだ大学の学科や研究室でこれらの学習機会を十分得られるか、そのカリキュラムが組まれているかが重要になってきている。併せて自分で仮説検証を繰り返すプロセスを指導教官の下でマスターしているかも重要だ。
主に卒業論文、修士論文などで鍛えられる能力である。これは学科の成績がいいということよりも実は重要である。これらは昔でいう読み書きそろばんの類いで、今後の社会を生きるのに必要最低限の能力ということになるだろう。大学時代にこのような教育を受けていなければ、企業側で再教育をすることになるから、その人の価値は低くなる。
このとき、もちろん【4】の次元のグローバルな人的ネットワークや外国のルールへの適応技術等があればさらに有利である。言うまでもなく以上の話は文系、理系を問わずである。