【1】明治・大正は地縁血縁と外国の知識が有用
明治維新後は、急速に近代化が進んだ。外国から最先端知識や技術を学んで導入することが求められていた。維新で功績のあった元勲と同郷(同じ藩の出身)であったり、そうでなくとも元勲に取り入るなどして関係性が深かったりする人物であって、かつ外国の技術を獲得する役割を担った人が優遇された。
例えば最後の将軍一橋(徳川)慶喜に抜擢され、弟の昭武のパリ万博、欧米視察に随行し、市場や株式会社というしくみを日本に採り入れるなど、日本の近代化の素地を築いた渋沢栄一はこの典型だろう。この頃はまだ市場が未成熟だったため、求められる人材としては、とにかく外国のしくみを早急に日本に移植する実行力が期待された。相当な豪腕でなければ務まらない仕事である。藩校などは江戸時代からあったが、当然ながら大学はまだ設立されたばかりのところがほとんどであるから、学歴はまだ重要な要素にはなりえなかった。
【2】昭和前半は大学や旧制高校の縁が有効
時代は流れ、昭和前半には、元勲に代わり官僚や軍人が社会を支配するようになる。すでに近代化は進み、制度もある程度整ったため、ここで必要とされるのは法の制定や解釈力、予算の執行力である。地縁や血縁もまだ有効だが、官僚や軍人になる人のそばにいることや、こうした人物とつながる人的ネットワークが重要であった。そして、それを得るには「学校縁」が物を言った。東大をはじめとする旧帝大卒などが強くなってくるのはこの頃からだが、地方では、大学よりも、その地域の国立の一番優秀な旧制高校などの縁がもっとも重視された。
【3】昭和後半は社内の学閥をモーレツサラリーマンとして生かす時代
戦後民主主義の時代が到来し、企業活動が活発になった。高度成長期で「24時間戦える」「モーレツサラリーマン」のビジネス開発能力が求められた。この時代には、大企業で出世し、役員になることが会社員として、人としての「上がり」だった。社内には派閥ができ、派閥による人脈グループが形成されたが、それにはいわゆる高偏差値の東大や早稲田や慶應などの「学閥」が関係してくる。学閥を形成しているような学校卒であれば、企業で生きるのには大きなメリットがあった(学閥よりも事業部閥が重要視される会社もあった)。
企業で必要なのは、組織人能力である。主要なビジネスをいかに回していくか、会議で意思決定に有利なポジションをいかに握るか。いかに社内のパワーバランスを調整して、合意形成するか。この学閥を元に形成されたチームワークを生かしながら、有力学閥の中心人物たちが覇権を握り、会社の方向性を決め、組織人能力を開花させて出世していったのである。
まだコーポレートガバナンスが効いていない時代であり、株主が社長の人事や組織形態に対して物を言うこともなく、社内でのグループ間闘争に勝つために上手に群れることが出世のために重要だった。
【4】平成はIT技術、直接金融、グローバルネットワークが強み
平成になると、それまでと様相ががらっと変わってきた。高度成長はもはや過去のものとなり、ベンチャーやコンサルが台頭し、技術革新が次々と起きる激動の時代が始まり、ITと直接金融が企業の原動力となった。こうした分野で先行するアメリカのビジネススクールに行った者が重用されるようになる。グローバルビジネスに携わり、M&Aを経験した人や、MBAホルダーが集う欧米系のコンサル会社で働いた人が活躍し、英語ができることに過剰なほどに大きなメリットが生まれた。ITベンチャー企業も勃興した。ビジネスの主役は大企業から成功したベンチャー経営者に取って代わった。
しかし、そうそう大企業が急に完全に凋落するはずもなく、大企業で働く人々は学閥をまだまだ重視していた。ただ、社内であそこの大学閥に勝ったの負けたのと言うこと自体には次第に価値がなくなりつつあった。もちろん大学閥の中心にいながら私費留学でMBAを取るという人もいた。
【5】令和はグローバルな人的ネットワークとデジタル技術の理解と利用がカギ
そして現在。デジタルネイティブと同等の知見がなければ、経営などできない時代になった。もちろん国際化も当たり前で、外国との人的ネットワークは非常に重要である。コロナ禍もあり、国際会議がオンラインなどで簡単に行えることがわかったため、余計に世界と近くなった人も多いだろう。ビッグデータが蓄積され、そのデータを基に仮説検証でき、論理的に考えられる人が、山積するさまざまな課題に答えを出せる能力の高い人ということになる。