日本酒の立ち位置と可能性について、前・酒類総合研究所理事長の後藤奈美氏に聞いた。日本酒の歴史には数々の浮き沈みがあったが、日本酒史に最も影響を及ぼしたタイミングは、江戸時代や明治以降の技術開発と、戦中・戦後の2つの時代にあったと語る。さらに、そこから食事との相性の科学や、日本酒におけるテロワールについて話が広がっていく。(ダイヤモンド編集部 深澤 献、編集者 上沼祐樹、フリーライター 藤田佳奈美)
醸造技術や級別制度、酒の多様化
戦中・戦後がターニングポイントに
日本酒の歴史は深い。後藤氏は中でもそのターニングポイントは、江戸時代や明治以降の技術開発と、戦中・戦後の影響が大きいと考えているようだ。鎌倉時代に本格的に商売として酒を造ることが始まり、江戸時代になると醸造技術が発展。現在の酒造りの主流とされる、冬場に仕込む「寒造り」が生まれたのもこの時である。また、銘醸地として灘の酒が有名になり、江戸に運ばれて、流通経路が発達した。
「江戸は大消費地ですので、たくさん酒が飲まれたそうですよ。明治時代に入りますと、分析や微生物学などの科学技術が酒造りの分野にも導入されたことにより、徐々に安定した供給が可能になりました。そこから飲酒が大衆化、日常化したといいます。
ですが、近代の日本酒史に最も影響を及ぼしたのは、第二次世界大戦(1939〜1945年)。食糧難のため、日本酒の原料である米が食用優先で配給されたこと、酒の販売が現行の免許制になったことにより、日本酒の生産と販売が統制されることに。特級、一級などの規格を設ける級別制度が導入されたほか、製造方法にも大きな影響がありました。
戦後、食糧事情の改善や、高度経済成長に伴って日本酒の生産と消費が大きく伸びる時代もありましたが、その後、減少に転じることに。小さな造り酒屋は生き残りをかけて、純米酒や吟醸酒など『特定名称酒』に力を入れて差別化を図り、日本酒が多様化しました。今、日本酒の消費量が減少し『日本酒離れ』と言われているのは、ワインやビール、サワーなど他の酒も飲まれるようになったからと言えるでしょう」