サントリー「赤玉」が原点!ワインはいかに日本人の生活に定着したかPhoto:karandaev/PIXTA

ワインから学ぶ日本酒の世界戦略――。今回はワインの歴史と、どのように国内外で市場を広げてきたのかについて探っていく。出版社で10年勤務後、フリーで生活誌・グルメ誌などのライターや編集の仕事をしながら世界の酒について見識を積み、現在、食品産業新聞社・酒類飲料日報部のワイン・洋酒専門の記者である森田真希子氏に聞いた。(ダイヤモンド編集部 深澤 献、編集者 上沼祐樹、フリーライター 藤田佳奈美)

日本人にとっての原点は
赤玉ポートワインの甘み

「ワイン発祥の地はジョージア(旧グルジア) で、その歴史は8000年にも及びます。歴史的にみると、ワインが世界に広がった要因は宗教と移民です。特にキリスト教の布教に合わせて、ヨーロッパの移民が米国大陸など新世界に向かったことでワインが広がりました。

 日本の文献にワインが登場するのは室町時代で、やはりキリスト教布教のために日本に来たフランシスコ・ザビエルがワインを大名に献上したのが最初だとされています。また、日本の固有品種である甲州のルーツはコーカサス地方にあり、シルクロードを通って日本に伝わってきたと言われています」(森田真希子氏、以下カッコ内は同)

サントリー「赤玉」が原点!ワインはいかに日本人の生活に定着したかもりた・まきこ/食品産業新聞社・記者。ワインと洋酒業界に幅広いネットワークを持つ酒類業界記者。大手出版社に10年勤務した後、世界60カ国を放浪。帰国後は生活紙からグルメ誌、経済紙まで、幅広く編集・執筆を行う。取材で訪れたワイン産地は欧州から南米、アフリカまで10カ国以上。国内外の生産者との交流も深い。

 甲州の名の通り、甲州地方(現在の山梨県)には西暦718年、勝沼にある大善寺を開山した修行僧の行基が、この地でぶどう栽培を始めたという説がある。江戸時代には生食用としてぶどう栽培が盛んになり、甲州地方から各地へ栽培地も広がった。

 もっとも森田氏によれば、日本では当初、ワインはなかなか普及しなかったという。明治期の西洋諸国に追い付け追い越せの時代、政府もワインを造ってワインを飲むことを奨励し、1870年には山梨県甲府市に「ぶどう酒共同醸造所」が誕生。1877年には日本で初の民間ワイナリー「大日本山梨葡萄酒会社」(メルシャンの前身)が設立される。だが、当時の日本人の口にワインは合わなかったようだ。

 ワインが日本人に広まる過程で大きな役割を果たしたのは、1907年に発売されたサントリーの「赤玉ポートワイン」(現・赤玉スイートワイン)だ。ポートワインとは、ポルトガルを代表する酒精強化ワインで、濃厚な甘さと深いコクが特徴である。

「赤玉ポートワインを造ったのはサントリー創業者の鳥井信治郎氏です。鳥井氏はスペインのワインを輸入して売り出したのですが、渋くて飲みにくいとまったく売れなかった。そこで、スペイン人貿易商の家で出合った甘くて口当たりの良いポートワインに着目。当時健康のために飲まれていた“薬用酒”としてのぶどう酒を、日本人好みの色と甘さを併せ持つ“ワイン”として売り出したのです。さらに、日本初のヌードポスターや鮮烈なキャッチコピーによる広告展開も話題を呼び、大ヒット。大正後期には、国内ワイン市場の60%を占めるビッグブランドになりました」