オリンピックとパラリンピックが別々である必然性に加えて、今回の大会で話題となっていたのが、いわゆるトランスジェンダーのアスリートの存在です。トランスジェンダー選手との競技が本当にフェアなのかという声が、アスリートたちからも挙がっていました。障害の有無や性別も含め、オリンピック・パラリンピックのすべてを再定義し直すことを、一度考えてみてもよい時代にさしかかっているのではないでしょうか。

生涯楽しんで体を動かして楽しむ
スポーツの原点に立ち返る

 スポーツの原点は、生涯体を動かして楽しむことだと考えます。学校教育でスポーツが果たす役割は、子どもたちの身体を発達させたり、筋力や柔軟性を付けたりすることだけではなく、生涯において体を動かして楽しむ感覚を身に付けてもらうことにあると、ある講演で聞いたことがあります。

 学校では各競技のルールを教えることに汲々とする先生も多いようですが、今や子どもの数が少なくなってルール通りの人数が集まらないことだってあります。それなら柔軟にルールを変えればよいのだと、スポーツの目的はルールを守ることではなく、体を動かす楽しみを覚えてもらい、生涯健康でいることだという話でした。

 言われてみれば、私は小学校の頃、体が小さくて運動能力もそれほど高いわけではなく、体育がとても苦手でした。体の大きさで得意不得意が分かれる競技で、教師から馬鹿にされたことがきっかけだったのですが、あれはとんでもなくもったいないことだったと、今となっては思います。

 今、私がスポーツをやろうとすれば、若い人にはかないません。でも、そこで参加するのをあきらめてしまうのではなく、年齢や身体的にできないことのギャップを埋める機械のようなものがあれば、ずっと体を動かし続ける気になると思うのです。スポーツの原点である「楽しむ」ということを重視するなら、そのために機械の力を借りるということは、もっとあってもよいのではないかと感じています。

(クライス&カンパニー顧問/Tably代表 及川卓也、構成/ムコハタワカコ)