選択の自由に対する反対論で
考慮に値するのは「外部不経済」

 自由に選択させよという議論に対する反対論として考慮に値するのは、「万一自分の行動でコロナに感染した場合、本人は受け入れるのでいいとしても、感染症の場合、他人に感染させたり流行の拡大に加担したりする可能性があるからダメだ」という外部不経済性の問題だ。

 自由な選択が可能であることのメリットと外部不経済性のデメリットとをどう比較して折り合いを付けるかは社会的意思決定にあって難しい問題だが、外部不経済性が軽微であれば、より前者のメリットに重きを置くことができてよいはずだ。

 まず、コロナに関しては、個々人が自分のリスク認識に従った選択をする自由がある。コロナのリスクに敏感な個人には、「この店の規制は緩くて危ない」と思う店には入店しない自由があるし、外出の場所や時間、さらに直接会う相手とそうでない相手の選択などに関しても自由がある。こうした自由が十分確保されることは重要だ。

 また、コロナに罹患しても十分治療が可能であるなら、外部不経済のデメリットはかなり軽減される。

 医療資源の確保は、それ自体として対策が必要な重要問題だが、病床の逼迫が深刻でない状態では、個人の行動の自由を制限する必要性は乏しい。

 なお、初診も含めたオンライン診療と投薬は、コロナには特に効果的だろうし、コロナ以外の病気も含めて全面的に解禁して、普及を促進するべきだろう。コロナが怖くて病院に行くことができない患者もいるわけであり、何より、患者本人の側が「それでいい」かつ「そうしたい」と希望しているのだ。であるなら、供給を一律に制限するのは悪質なカルテル行為だ。

 まして、医療資源の逼迫が国民の活動の大きな制約になるのだとすると、たかだか医者のビジネスの都合で国民の自由が制限されることになり、ばかばかしいことこの上ない。

 医療は、情報の非対称性が大きなサービスビジネスだが、供給者側(医者側)が「偉い」のだという認識を持つのは間違いだ。需要者側(患者側)が、不確実性についても納得した上で「こうしたサービス(例えばオンライン診療)が欲しい」と言っている場合に、これに応じようとする供給者を制限するのは不当なお節介だ。