「ありのまま」で生きるのは良いことなのか?

さて、上の会話にも出てきましたが、「ありのまま」の自分で生きるって、なんて難しいのかと、最近よく思います。『アナと雪の女王』で、Let It Goが大ヒットして、世間でもみんなが「ありのままで生きたい」「ありのままの自分を取り戻そう」と口にしているけれど。「ありのまま」ってそんなに簡単なことなのでしょうか?

だって、「素の自分をぶつけてほしい」、と言われてそのとおりにすると、「そういうことじゃなくて」と言われる。もっと親しくなりたいから「ありのまま」の自分でいようと決めて、そう振る舞っているのに、なぜか前よりも距離が開く。彼が求めるからそうしたのに、どういうことよ? 失礼でしょ! そんな会話を何度聞いたことでしょう。

どうしてこのようなことが起こるのでしょう。「ありのまま」の自分でいるって、一体どういうことなのでしょうか。「ありのまま」の自分でいるって、本当に良いことなのでしょうか。

たとえば、一組のカップルがいるとして、彼女の方は仕事でストレスが溜まっていて、最近彼氏とのすれ違いが多いとしましょう。すれ違いにイライラして、まわりが見えずにいる彼女を慰めようと、彼氏はこう言います。

「大丈夫だよ、全部受け止めるから。ありのままの自分でいてよ」

こう言われた彼女の方は、心底安心するのです。「大切にされている」「自分はこんなに大切にしてもらえる価値がある人間なんだ」と感じたい女性は多いですから、そのように「どんな君も受け入れるよ」とか、「どんな君も好きだよ」などの台詞は大好物。傷ついて不安で、自信を失っていたところに、そんな風に優しい言葉をかけてもらった彼女側は、極端に舞い上がります。そして、大切にしてくれる相手に対して、それ以上を求める。「もっともっと愛して! どんな私も愛して!」と。

だから、ご丁寧にわざわざ自分のだらしなさをオープンにしたり、わがまま放題になったり、すっぴんを平気で見せるようになったり、裸でも恥じらいがなくなったり。こうして文字におこして冷静になるとなんて厚かましいのだろうと分かるけれど、恋に落ちているときは、冷静な判断が出来ません。「恋は盲目」とはよく言ったもので、困ったことに、「君のすべてを受け入れるよ」という言葉を文字通りそのまま受け取ってしまい、本当に「すべて」をさらけ出し、徐々に「恥じらい」がなくなってしまっている自分自身に気づけていない場合すらあるのです。

実際のところは、相手が言う「ありのままの君でいてほしい」というのは、「汚いところを含めたありのままの君を見たい」という意味ではなくて、「変に意地張ったり、めんどくさい態度をとらないで、素直でかわいくいてほしい」という意味であることが大半ですし、どんなに好きでも、「平気でおならしたり、げっぷしたりする、女らしくない彼女の姿も愛する」というのは無理があるというもの。

「自分に正直」「飾らない自分」という綺麗な言葉で飾り付けて、努力を怠ったり、相手を思いやらないというのは、「ありのまま」ではなく、単純に厚かましいだけになっている場合もあるのです。