SNSが誕生した時期に思春期を迎え、SNSの隆盛とともに青春時代を過ごし、そして就職して大人になった、いわゆる「ゆとり世代」。彼らにとって、ネット上で誰かから常に見られている、常に評価されているということは「常識」である。それ故、この世代にとって、「承認欲求」というのは極めて厄介な大問題であるという。それは日本だけの現象ではない。海外でもやはり、フェイスブックやインスタグラムで飾った自分を表現することに明け暮れ、そのプレッシャーから病んでしまっている若者が増殖しているという。初の著書である『私の居場所が見つからない。』(ダイヤモンド社)で承認欲求との8年に及ぶ闘いを描いた川代紗生さんもその一人だ。「承認欲求」とは果たして何なのか? 現代社会に蠢く新たな病について考察する。
二十五歳でバツイチになる予定はなかった
離婚するしかないかもしれない、って言ったら、おかあ、なんて言うかな。そんなことをぼんやり考えながら、家に帰るまでの道をダラダラと歩いていた。五月の福岡の夜だった。
わりと大きめの企業の総合職を辞めて、社長とアルバイトだけの、とても小さな、しかも衰退産業と言われる「書店」事業に取り組んでいる超ベンチャー企業に入社して作家を目指すという道を選んだ時点で、ハプニングだらけの人生になるんだろうなという覚悟はしていたものの、さすがに二十五歳でバツイチになる予定はなかった。
どうしよう、と帰り道、一人つぶやいた。けれどもほとんど、自分の中で答えは出ていた。母親には、正直に話すしかない。ただ、実の親に率直にこの決断を言うのは憚られた。だって実の親なのだ。大事に育てた一人娘が離婚すると聞いたら、どんな顔をするだろう。どんなことを言うだろう。反応がどうしても読めなかった。なんて切り出そうか、と頭の中で様々な言葉のパターンがぐるぐると回る。
「ちょっと相談がありまして」。いやいや、深刻すぎる。私と母はそういう話し方をするタイプじゃない。「この歳で離婚ってどう思う?」。うーん、そういう回りくどい聞き方は違うかな。「別れてもいい?」。こういうことって親に許可とるもんなの? いや、わからん。全然わからん。そもそもオーソドックスな離婚のハウツーがわからん。みんなどうしてんの? どんな風にすれば自然? 結婚のいろはを説くメディアの情報は巷にいくらでも流通しているものの、残念ながら「正しい離婚マニュアル」なんてものはどこにも存在しなかった。どうしたらいいんだ。
ふと思った。
なんか、最近こういうことばっか考えてるな。
急に、ぽっかりと心に穴が空いて、そこをシューッと風が通り抜けていくような、嫌な気持ちがした。
正しい結婚とは、正しい離婚とは、正しい仕事とは、正しい生き方とは。正しくて、間違ってない、人生とは。どうしてこんなに、正しいかどうかっていうことを気にしてるんだろう。
はあ、とため息をつき、同じフレーズを延々と繰り返しながら、自宅に向かっていた。もう夜だったが、福岡の人たちはまだ眠らない。楽しそうにわいわいと騒ぎながら道を歩く人たちを横目に、自宅への道を歩いた。がさり、というコンビニの袋の音がやけに耳障りだった。