たとえば、「AIを使った……」と言った瞬間に、「あー、それ(AI)はダメ、うまく行きっこない。うちでそんなの出来るわけないでしょ」と言下に否定し、「SDGsが……」と始めると、「そういうきれいごとは、長続きしたためしがない」と即応する人がいる。このような人は、「はやりものはNG」という判断基準を持っている。しかし、よく考えればわかるとおり、Twitterは15年前、LINEは10年前、単なるはやりものだった。しかし、現在このSNSサービスをはやりものと笑う人はいないだろう。はやって廃れるものもあるが、はやって定着するものもある。はやり物はすべてだめだという管理職が多数派だと、会社はさまざまな変化に対して確実に時代遅れになる。
「アフリカはダメ」とか「東欧はダメ」とかいう人もいる。「その地域はNG」という背景には、前にある事業部門がそこで失敗したとか、知っている会社がそこでひどい目に遭ったといった本人の狭い“知見”がもとにある。しかし “その地域”であるアフリカには、外務省の位置づけでは54の国があり、たとえばナイジェリアとエジプトではなにもかもが違う。中・東欧グループに属する国(やはり外務省の位置づけによる)は23あり、たとえば東マケドニアとコソボではやはりなにもかもが違う。しかも、その54、あるいは23の中のどこか一つの国をとっても、地域によって言語も違えば民族もメインの宗教も気質も違う。もちろん多少の類似性はあるにせよ、巨大な地域を一緒くたにしてNGと言われても困るのだが、そのような上司は普通にいる。
「そういうB to Cビジネスはダメ」とか「そういう知的集約ビジネスはダメ」とか「そのビジネス形態はNG」という判断基準の人もいる。たしかに、会社によってビジネスモデルによる得意、不得意はあるが、そうだとしても、B to Cにもいろいろあるし、知的集約ビジネスにもいろいろある。
いずれにしても、“それ”はNGという上司は“それ”のくくりがとんでもなく大きいのである。そして、その滑稽なほどの大きさにもかかわらず、そのことに対して驚くほど無自覚、無頓着で、明確に異質なものが内包されている集合を一つのものとして考えて、間違った判断をする。そのくせ当人は適切に判断をしていると考えているから不思議である。
だれしも、自分の詳しいことは細かい分類でものを把握し、わずかな違いにも敏感になる。一方、よく知らないことや興味のないことに対しては、悲しいほど、大ざっぱにしかものを見ていない。今では誇張や誤りも指摘される説だが、「エスキモー」は雪を「カニック、 アニユ、アプット、プカック、ベシュトック、アウベック」などと分類し、さらには日本語のように、細雪、どか雪、粉雪といったように、雪に形容をつけて細分化しているのでなく、それぞれ別物としてとらえているという話がある。私たちにとって同じ雪に見えるものをまったく違うものとして幾種類にも分けて捉え、細かく概念の分類をしている人がいたとして、それではじめて雪について何かを語れる段階といえるくらいのものだろう。
したがって、上司がもし、大ざっぱな概念分類しかできていない(ことが予測される)場合は、その後に自分が提案をすることをおくびにも出さずに、上司が一つの概念でとらえる領域の中には、しっかり見れば多くの別の概念があり、その中にはNGと思われても仕方がない領域と、実は有望な領域が存在していることを、事前に懇々と説いて教えこんでおく必要がある。
提案される立場なら、もし自分が大ざっぱな言葉と概念分類でしか物事を見ていない場合は、その対象は、自分が判断してはいけない領域であると考えた方がよい。NGもGOも言ってはいけないのだ。大きな話しかできないなら、“それ”については何かを語る資格すらないと自覚したほうがよいだろう。