出張中のパリで聞いた話だが、最近、フランスのテレビで「ジャーマン・クオリティ」「メード・イン・ジャーマニー」をアピールするドイツ企業のコマーシャルが増えているという。一昔前なら反感を買ったに違いない広告が、今は好印象となっている。
ドイツ在住の自動車ジャーナリスト、木村好宏氏も最近のコラムで同様の変化を指摘している(「モーターマガジン」12月号)。秋にパリで開かれたモーターショーの前夜祭で、独フォルクスワーゲンのグループ内の10のブランドのうち、9人の社長が今年はドイツ語で挨拶をした(バイクのドカッティの社長だけ英語)。「こんな状況は数年前まで考えられなかったことだ」。
1970年代初頭は、ポーランドはもちろん、隣国のオランダ、ベルギーでさえドイツ語を使うと嫌悪された。ドイツ人が人目を気にせず国旗を振れるようになったのは、2006年のワールドカップからだという。
また、昨年秋にポーランドのシコルスキ外相は、「このようなことを言うのはポーランド外相として前代未聞だと思う。私はドイツのパワーそのものよりも、ドイツが行動を起こさないことを恐れるようになった」と述べていた(「フォーリン・アフェアーズ・リポート」12年10号)。
第2次世界大戦後の欧州での経済統合の機運の背景には、強大なドイツが復活することへの周囲国の恐怖があった。89年にベルリンの壁が崩壊した際、ミッテラン仏大統領はコール独首相に、通貨同盟を急がせた。ミッテランはサッチャー英首相に「まるで38年であるかのように感じている」と恐怖を伝えている(前掲誌)。