個人的事情により「孫の手」の必要性を痛感した筆者は、革新的な発明があるのではないかという期待を胸に、最新の「孫の手」事情を調べ始めた――。(フリーライター 武藤弘樹)
昔から基本形を変えない孫の手
はたして2022年に似つかわしい孫の手はあるか
人類の文明の進歩は目覚ましいが、大気中をあまねく電波が飛び交うようなハイテク現代にいたっても、ずいぶん昔からあまり形を変えていないガジェットもある。傘などはその代表格であり、あの原始的な基本形状は今日までほとんど進化してこなかった。
「孫の手」もそうである。
「背中をかく」という用途に限れば、もはや棒であればいいから、進化の余地は少なく、昔から棒のままだ。しかし、そろそろ、孫の手にも何かしら革命的な発明がなされてよさそうな頃合いではないか。本当は知らなかっただけで、実はボタン一つで小型ドローンがどこからともなくやってきて背中のかゆい部分にレーザーを照射してくれるような、近未来的孫の手が開発されているのかもしれない。
この度、個人的事情により孫の手の必要性を痛感した筆者は、自分のためにも孫の手の最新事情について調べてみることにした。
四十肩の進行につれて高まる孫の手の重要性
筆者は寒がりである。冬は自宅でも上下各3~4枚の重ね着をして過ごしている。重装備であり、動きづらいことこの上なく、Tシャツの上にスエットを1枚着ただけの家族からは、あざ笑われているようだが、背に腹は代えられない。寒さだけはなんとしてでも遠ざけねばならない自然の責め苦だからである。そうして毎年つつがなく過ごしてきた。
ある日、寝ようと布団に入っておとなしくしていたところ、背中がかゆくなってきた(冬季就寝時は日中活動用とは別の、上下各3~4枚パジャマセットを着用している)。身じろぎすることすらおっくうに思える状況下においても、かゆみには最優先で対応に当たりたい。
しかし、手が届かない。重ね着による束縛と加齢による肩の可動域の減少で、目当てのポイントに指が到達しないのである。