死後大きく変わった両者の命運
しかし2人の命運は、死後に大きく変わります。
それは、漢以降の中国の王朝が儒教を重んじたためです。
プラトンの子孫の消息はまったく不明です。
プラトンだけではなく、ソクラテスもアリストテレスもブッダの場合も同様です。
しかし孔子の一族は現在まで続いています。
世界で一番古い系図が残っている一族です。
また、魯の曲阜(きょくふ)にあった孔子の住居は、彼の死後にその霊をまつる孔廟(こうびょう)となり、歴代の中国王朝によって維持され増築を重ねてきました。
現代では北京の故宮(紫禁城)に次ぐ大きな木造の建築物で、世界遺産となっています。
孔子の墓がある場所(孔林)は、子孫が埋葬され続けたために広大な墓所となりました。
孔子の遺伝子を持つ家族は、数十万人に及ぶそうです。
孔子を師とする学派は「儒家」と呼ばれ、その教えは儒教と呼ばれました。
西漢時代に儒教が事実上の国教となってからは、歴代の王朝も概ねそれを踏襲してきました。
それ以来、中華人民共和国の成立時や文化大革命時に批判されたこともありましたが、中国の政治・倫理思想の軸となって生き続けてきました。
今日の中国共産党も、「儒教社会主義」を提唱しています。
孔子の思想が弟子たちによって発展していく中で、次のような言葉が『大学』という書物の中に残されています。
「修身斉家治国平天下(しゅうしんせいかちこくへいてんか)」
天下を治めようとするなら、まず自分が努力して立派な人となれ。
次に家族を愛し平和な家庭をつくれ。その次に国(地域)を治めよ。そして次に天下を平(たい)らかにせよ。
この順序が大切なのである。そのような意味です。