コロナ禍で大学野球界は大混乱
リーグ戦は8月に開幕も練習は「上限3人」

 日本でも緊急事態宣言が発令され、人々は顔半分を隠さざるを得なくなった。大学も封鎖され、密となる部活動などの行動は規制された。誰もが戸惑いを隠せず、未経験の災禍に浮き足立った。

 余談になるが、多くの大学はリモート授業の実施に苦心した。初めてのシステムにベテラン教授こそが順応できず、事務方に怒鳴りこんだという事例もあった。学生を教え導く師でさえも頭に血が上ってしまう。

 早稲田大野球部もコロナ禍に見舞われていた。恒例の沖縄・浦添キャンプは中止。小宮山は現地に飛び、関係各所に頭を下げて回った。部活動について大学の規定も定まらず、練習スケジュールを分散した。3月末、大学から活動自粛の通達が下りる。グラウンドも室内練習場もトレーニングルームも使用禁止である。

 安部寮は解散を免れ、やれることを工夫した。ジムからマシンを運び込み、ネットを張ってボールを投げ、スポンジボールを使って打撃練習、屋上での素振り。少人数で時間をずらす。自宅待機の寮外の選手には「布団へボールを投げろ」などと監督が細かな指示を出した。

 4月に入っても先は見えない。多くのスポーツが試合の開催を見送る中、全国の大学連盟が次々に春季リーグ戦の中止を発表。全日本大学選手権も中止が決まった。
 
 東京六大学野球連盟だけが踏ん張った。当初は開幕を5月末とし、1回戦総当たり方式で行うと発表。伝統の3回戦勝ち点形式による8週制の断念ではあるものの、開催の道を模索した。さらに延びて8月の開幕となったわけだが、不屈の執念すら感じる。小宮山は後にこう言っている。

「われわれの連盟には天皇杯があり、これを下賜(かし)されていることで各校ともアマチュアスポーツの代表のつもりで戦わなければならない。3月の理事会では、なんとか開催できる方法を見つけて頑張ろうと、6校の思いは一緒だった」

 5月頭に構内立ち入りがかない、グラウンド練習を再開。しかし「3人まで、2時間以内」という制限付きである。野球の練習が上限3人……。不自由過ぎる決定にも、小宮山は眉を動かすこともなかった。

「その方針に疑問点はありましたけど、深追いしない。自分たちがコントロールできることだけを、しっかりやろうと」

 トップが腹を据え、部員は準ずる。打撃練習は3人1組。打っては球拾いと、何から何までを3人で行う。投手は週1でブルペンに入った。キャッチャーがいないので(3人以内!)走ることに時間を使った。どこの大学野球部も同じような苦労をしているとはいえ、あまりにも淋しい練習である。だがこういう状況だからこそ、一球入魂の真価が問われる。

※ 緊急事態宣言
 2020年3月13日に新型コロナウイルス対策の特別措置法が成立。それを受けて、4月7日に首都圏を中心とする7都府県に発令、16日に全国に拡大された。5月6日までの予定だったが、収束が見込めずに31日まで延長。しかし25日に解除された。政府の対応も混乱を余儀なくされたのである。