7月27日生まれの看護がとっても苦手な看護師。チョコレート中毒。さまざまな診療科で看護しているが、循環器、消化器、脳神経、救急が特に長い。看護が苦手だからこそ、それをフォローするために看護・医療について勉強し、まとめたイラストを日々描いている。日々の勉強ネタやイラストを公開しているTwitterはフォロワー数4万人を超え、月刊誌『プチナース』、Web『エキスパートナース』、コミュニティサイト「看護 roo!」で連載を持つなど、医療系イラストで活躍。日本うんこ学会より配信中の「うんコレ」でゲーム内イラストを手がけている。3学会合同呼吸療法認定士/保健師/元塾講師/医療美術部イラストレーター/日本うんこ学会イラストレーター。著書に『ホントは看護が苦手だったかげさんの イラスト看護帖~かげ看~』(永岡書店)がある。
この仕事をしていなければ出会わなかった方々がたくさんいます。出産も臨終も含めて、人生の重要な場面に立ち会わせていただくありがたさ、豊かに学ばせていただいているというありがたさです。
例えば、108歳の女性を看護した経験があるのですが、看護師でなければ出会うこともお話しすることもない方だと思います。
かげさん(以下、かげ):すごくわかるなぁ……。
コロナ禍になって、老人ホームから救急搬送されて入院する高齢者の方が少なくないのですが、通常のご様子、既往歴や服用している薬、認知機能や、どの程度動いたり歩けたりできるのか、会話はできるのか、お食事は通常どんなものを召し上がっていたのか、などの情報が間に合わないまま入院の受け入れをすることもあります。
施設からの情報は、すぐには届きません。後からいらしたご家族も、そもそも救急搬送されたおかげで2年ぶりに患者さんに会えたくらいで、「2年前のことしかわかりません」というケースが少なくないんです。
情報がない中で、勉強してきた知識や、これまで培ってきた考え方、経験を駆使して目の前の患者さんの状況を把握して、介助の仕方、声のかけ方、お食事の様子などを追及していき、看護のあり方を考えています。
後閑さんが言われたように、たとえベストじゃなくても、これ以上の悪化を防いで、より辛くさせない対応ができた時には心底ホッとします。患者さんにも安心していただけます。私も、そういうところにやりがいを感じます。
この仕事でなければ体験できない重要な一瞬一瞬に寄り添えるってすごいことだと思います。
後閑:そうですね。その「安心」というキーワードで心に残る言葉があります。
病院でお母さんを看取られた息子さんが、すべて整理して自宅に帰られる時に、「30年後にまた来ます」と言われたんです。そう言われて、最初、私には意味がわからかったので、どういうことかとお聞きしたら、「自分もここで看取ってほしいから、30年後にまたここに来ます、ということです」と。
病院を母が亡くなった縁起が悪いところ、と思ってしまったら、そのご家族は病院を頼りにしなくなる。でも、いざとなったらあの病院を頼ればいい、と思ってもらえたら、その方は生きることに専念できるわけです。そう思って信頼してもらえたら、医療者としてのやり甲斐につながると思うのです。
実際は、30年後に私がそこで働いている可能性はないのですが……。
かげ:私も、病院がそういう「安心できる場所」として成立するための一要素として働けることがモチベーションになっています。病院という環境で働くからこそ、その中の1つの要素として自分が生かされるというか、そうあり続けたいです。
後閑:親の看取りがとてもよかったから、医療を頼れば最期まで安心して生きられるね、と言ってもらえるような、人が「死」とうまくつきあえるところ。そういう医療を続けたい、というのがモチベーションです。
かげ:それから、看護師は患者さんの排泄の援助もしますよね。
実は、検査ではわからない体の状況が、お通じを見ることでわかってくる場合があるんです。
けれど、そもそも他人の排泄に立ち会うことなんて普通はあり得ませんが、羞恥心を伴う場面でも拒否されることなく、看護師だからと信頼して、そんな場面でも見守らせてくれる。
あるいは、普段は泣きそうもない人が感情を素直に見せてくれたり、無邪気に心を開いてくれたり、仕事ではキリっとしていそうな人が弱音を吐いたり、家族にも見せないような一面を見せてくれたりもします。
患者さんの何気ない行動から「ゆだねてくれるって、すごいことだな」と感じるし、やり甲斐を感じます。
後閑:そうですね。そこがやり甲斐ですね。