初の著書『伝わるチカラ』(ダイヤモンド社)を刊行した井上貴博TBSアナウンサー。報道番組『Nスタ』平日版の総合司会を務め、“TBSの夕方の顔”として活躍中だ。今年4月に自身初の冠ラジオ番組『井上貴博 土曜日の「あ」』が放送開始となるや、同月に第30回橋田賞を受賞するなど、快進撃を続けている。
一方、ダンスインストラクターから専業作家へと、30歳にして異色のキャリアチェンジをした作家の今村翔吾氏。近江の国・大津城を舞台に、石垣職人「穴太衆」と鉄砲職人「国友衆」の対決を描いた『塞王の楯』(集英社)で第166回直木賞を受賞した、当代きっての人気作家である。
今村氏が『Nスタ』にコメンテーターとして出演したことを機に親しくなったという2人は、同じ1984年生まれ。価値観を共有しつつ、切磋琢磨する間柄でもある。それぞれの第一線で活躍する2人の同級生対談を3回にわたってお届けする。
※本稿は
『伝わるチカラ』(ダイヤモンド社)の刊行を記念しての特別対談です。

【特別対談 井上貴博・TBSアナウンサー × 今村翔吾・直木賞作家】リスクをとらなければ絶対にリターンはない

人間は自分の名前を残したい生き物

【特別対談 井上貴博・TBSアナウンサー × 今村翔吾・直木賞作家】リスクをとらなければ絶対にリターンはない今村翔吾(いまむら・しょうご)
作家
1984年京都府生まれ。2017年に『火喰鳥 羽州ぼろ鳶組』で作家デビュー。2018年に同作で第7回歴史時代作家クラブ賞・文庫書き下ろし新人賞を受賞。同年「竜神」で第10回角川春樹小説賞を受賞、第160回直木賞候補となる。2020年『八本目の槍』で第41回吉川英治文学新人賞を受賞。同年『じんかん』で第11回山田風太郎賞を受賞、第163回直木賞候補に。2021年、『羽州ぼろ鳶組』シリーズで第6回吉川英治文庫賞を受賞。同年『塞王の楯』(集英社)で第166回直木賞受賞。

井上貴博(以下、井上):今村さんは、そもそもどんな思いで作家になったの?

今村翔吾(以下、今村)最初は負の感情が強かったかな。人生を取り戻す感じ。前半生が悪かったとは言わないけれど、本当にやりたかったことをスタートさせるのが遅かったなって。マイナスからのあがきが大きかったと思う。

井上:ダンスインストラクターをしていた20代の頃は、内心しっくりこないところがあったの?

今村:めちゃくちゃあった。生徒の子どもたちと話すことは大好きで、子どもたちの前に出るときは、しっくりきてたけど、ダンスインストラクターという仕事に対しては、しっくりきてなかった。あとは、もっと世に出たいという“謎の欲”があったかな。

井上:手段は何でもいいから、もっと世に出たいという感じ?

今村:そう、何でもよかったと思う。ただ、失敗しても自分が一番納得できるもの、自分が一番得意なことで勝負しようと思った。納得できることと勝負できるものが一致してから、小説に賭けたのかな。小学生の頃から、特に歴史小説の読書量は半端なかったし、ビジネスをやるにしても、お金がそんなになかったし。

井上さんだって、世に出たいという思いはあったでしょ?

井上:それは、めちゃくちゃある。

今村:僕は人間だけが名前を残したいと思う生き物やと思っていて、『幸村を討て』(中央公論新社)では、その理由を「さみしがり屋だから」と書いた。人間以外の動物が、ご飯を食べて、交尾して、それだけで一生終えていく中で、人間だけが名を残そうとするのは、「死んでからも、自分のこと忘れんといてほしい」という、究極のさみしがり屋だからとちゃうかな。

井上:僕は世に出ること自体が目的ではないけれど、テレビというメディアを変えるには、自分がある程度世に出て、認知度や知名度を高めなければいけないと思っている。

実は、ずっと日本の投票率を上げたいと思ってる。日本の投票率が低いのは、テレビが一つの要因だと思っているし、テレビはそこから逃げてるんじゃないかと。

自分が学生から社会人になった頃、新聞を読み出して、社会に関心を持って知的好奇心がかき立てられたあの感じを、テレビでもっと出せないかな、と。テレビを変えられるとしたら、アナウンサーとしてどうすべきなんだろうと、ずっと考えてる。

リスクを取って勝負をする時がある

【特別対談 井上貴博・TBSアナウンサー × 今村翔吾・直木賞作家】リスクをとらなければ絶対にリターンはない井上貴博(いのうえ・たかひろ)
TBSアナウンサー
1984年東京生まれ。慶應義塾幼稚舎、慶應義塾高校を経て、慶應義塾大学経済学部に進学。2007年TBSテレビに入社。以来、情報・報道番組を中心に担当。2010年1月より『みのもんたの朝ズバッ!』でニュース・取材キャスターを務め、みのもんた不在時には総合司会を代行。2013年11月、『朝ズバッ!』リニューアルおよび、初代総合司会を務めたみのもんたが降板したことにともない、2代目総合司会に就任。2017年4月から、『Nスタ』平日版のメインキャスターを担当、2022年4月には第30回橋田賞受賞。同年同月から自身初の冠ラジオ番組『井上貴博 土曜日の「あ」』がスタート。同年5月、初の著書『伝わるチカラ』刊行。

今村:「日本を変えたい」っていうと大げさやけど、そういう気持ちは分からんでもないな。幕末に生きていたら、俺ら2人とも志士的な立場でやってそうじゃない? 新撰組あたりに切られてそうだけど。

井上:馬鹿にされるかもしれないけど、青臭いことをいうと、そういう人物でありたいと思っている。

今村:あの時代、10代20代の若者たちが「維新回天」、つまり新しい時代に向けて駆け抜けたわけやん。彼らには学がなかった代わりに、情熱とか、ほとばしる何かがあった。この国にはそういう若者たちがいたはずやのに、現状からすると歴史が地続きに感じられない。

でも、もしかしたら若者たちの中にはそういう種が眠っていて、押さえつけているものをとり払えば、日本はもっと旋回し出すんじゃないかな。

井上:種はみんな持ってると思う。時代背景とか、上の世代、あるいは僕らの世代が、それを閉ざしてしまっているのかもしれない。今村さんは、悶々としている10代、20代の人がいるとしたら、どう声を掛ける?

今村:夢は叶うこともあれば、現実問題として、叶わずに生活が苦しくなることもある。子どもたちは馬鹿じゃないから、夢が叶わないことがあることも、よく分かってるのよ。

光も闇もある中で、背中を押してくれる人があまりにも少ないんじゃないかと思う。だから、「やりたいことがあるんやったらやってみろ」と、背中を押してあげたい。

一方で、もっと若い頃の自分を思い返すと、みんな遅かれ早かれ「そのとき」が来るような気がする。そこから逃げるか、逃げへんかだけとちゃうかな。

井上:10代、20代の人たちは、負のことに重きを置く風潮が強いのかなと感じる。「もし駄目だったら」というリスクとか、体裁を考えがち。1回全部捨ててもいいくらいにリスクをとらないと上に行けないのに。

今村:逆にいうと、みんなが二の足踏んでくれるから、半歩踏み出すだけで勝てるという、めちゃくちゃ楽な時代ともいえる。そのことを気づいた人が半歩踏み出すと、ひと昔前の五歩分ぐらい、抜きん出られる。だから、子どもたちには「一歩踏み出すのは、早い者勝ちやで!」って言いたい。もちろん、それを押しつけたくはないけれど。

井上:違う価値観を持つ人がいてもいい。そういう人たちから見たら、僕らのほうがかわいそうな部類かもしれないしね。

※本稿は『伝わるチカラ』(ダイヤモンド社)の刊行を記念しての特別対談です。