初の著書『伝わるチカラ』(ダイヤモンド社)を上梓したTBSの井上貴博アナウンサー。実はアナウンサーになろうとは1ミリも思っていなかったというのだが、一体どのようにして報道の第一線で勝負する「伝わるチカラ」を培ってきたのだろうか?「地味で華がない」ことを自認する井上アナが実践してきた52のことを初公開! 人前で話すコツ、会話が盛り上がるテクなど、仕事でもプライベートでも役立つノウハウと、現役アナウンサーならではの葛藤や失敗も赤裸々に綴る。
※本稿は、『伝わるチカラ』より一部を抜粋・編集したものです。

【TBSアナウンサーが教える】大司会者・みのもんたの後任で失敗を経験

29歳の大きなチャレンジ

【前回】からの続き

情報番組に足を踏み入れた当初、『朝ズバッ!』のリポーター以外に、『はなまるマーケット』(2014年まで平日朝に生放送)の曜日コーナーと、『イブニング・ファイブ』(2009年まで平日夕方に生放送)のリポーターも受け持っていました。

2008年当時の『朝ズバッ!』は、人気絶頂期を経て、徐々に視聴率も下降に向かうタイミングだったと記憶しています。

この番組で2年近くリポーターを経験し、2010年にスタジオレギュラーに昇格。みのもんたさんが夏休みをとるときは、代役として1週間のメインMCを何度か経験しました。

当時の私は、生意気盛りで怖い物知らず。みのさんがオンエア中に居眠りをしているときには、本気で腹を立てていましたし、「みのさん、寝てる場合じゃないですよ!」とキレ気味にツッコんでいました。

生意気な私を、みのさんは広い懐で受け入れてくださいました。強めのツッコミを怒ることもなく、「井上君のやりたいようにやれ」と言ってくださったのです。あの頃の経験がなかったら、私はただの従順なアナウンサーになっていたと思います。

『朝ズバッ!』の視聴率は低迷が続き、2013年にみのさんが降板。それを機に、私がメインMCとなり、2014年3月末までの半年間、番組の屋台骨を支えることになりました。

お世話になったみのさんの降板は残念な出来事でしたが、正直に告白すると「これ以上ないチャンスが来た」とも思いました。

プレッシャーはありましたが、それ以上に高揚感で満たされていたのです。

私は、みのさんがMCをしているときから「自分だったらどうするか?」を常にシミュレーションしながら番組に参加していました。毎日のように「自分がMCになったらやりたいこと」を見つけてはストックしていたのです。

だから、メインMCのオファーが来たときには、二つ返事で承諾しました。

いよいよ、これまでの準備が活かされるときが来た。まるで遠足前日の子どものような気分でした。「明日は何を言おうか」「何をしようか」を考えるだけで、毎日気分が高揚して寝つけなかったくらいです。

いざMCになった私は、さまざまな失敗を経験することになりました。しかし、29歳だった私にとって、失敗の1つひとつが、お金には換えられない貴重な経験でした。

いまでも当時のVTRを見返すことがあります。粗い仕事の仕方で反省点ばかりですが、「オレ、29歳でよくやっていたな」と自分を褒めながら、あの経験がなかったらと思うと、ぞっとします。

本稿は、『伝わるチカラ』より一部を抜粋・編集したものです。

井上貴博(いのうえ・たかひろ)
TBSアナウンサー
1984年東京生まれ。慶應義塾幼稚舎、慶應義塾高校を経て、慶應義塾大学経済学部に進学。2007年TBSテレビに入社。以来、情報・報道番組を中心に担当。2010年1月より『みのもんたの朝ズバッ!』でニュース・取材キャスターを務め、みのもんた不在時には総合司会を代行。2013年11月、『朝ズバッ!』リニューアルおよび、初代総合司会を務めたみのもんたが降板したことにともない、2代目総合司会に就任。2017年4月から、『Nスタ』平日版のメインキャスターを担当、2022年4月には第30回橋田賞受賞。同年同月から自身初の冠ラジオ番組『井上貴博 土曜日の「あ」』がスタート。同年5月、初の著書『伝わるチカラ』刊行。