高校時代にも佐々木の登板回避が議論に
監督は「急がば回れ」で苦渋の選択

 佐々木の登板を巡っては、高校最後の夏だった19年にも大論争が巻き起こった。35年ぶりの甲子園出場がかかった岩手県大会決勝で、大船渡の國保陽平監督が佐々木の登板を回避させたからだ。

 4回戦で延長12回を一人で投げ抜き、トータル194球の熱投で勝利に導いた佐々木は翌日の準々決勝を回避。中3日で迎えた準決勝を9回129球で完封したものの、翌日に行われた花巻東との決勝のマウンドには最後まで上がらず、試合も大船渡が2-12で大敗した。

 國保監督の采配に対して、試合開始直後から評論家や野球関係者、ファン、さらには大船渡野球部OBからも非難が殺到したのに対して、元巨人の桑田真澄さん(現・読売ジャイアンツ投手チーフコーチ)やダルビッシュが投手の体を守る観点から回避を支持。渦中の指揮官は佐々木の登板を回避させた理由をこう語っていた。

「3年間で一番壊れる可能性があると思いました。故障を防ぐために私が判断しました」

 高校3年時で直球の最速が163km/hをマーク。大きな注目を集めていた佐々木は、車に例えるならば完成する前の車体に規格外の出力を誇るエンジンを搭載しているような状態だった。

 國保監督はスポーツ医学の知見を得た上で、スポーツクリニックで佐々木の肩と肘の状態を定期的にチェック。検査結果を踏まえ、球数に対して独自のガイドラインを設定していた。

 けがで実力を発揮できずに終わった選手は少なくない。佐々木の身体に宿る稀有な才能が、やがて世界を驚かせると確信していた國保監督は、断腸の思いで「急がば回れ」を決断した。

 まだまだ体が出来上がっていない自覚があったのだろう。ドラフト会議前に全12球団と行った面談で、佐々木もプロ入り後のトレーニング方法や練習環境について質問を重ねている。

元メジャー吉井氏の「佐々木育成計画」
3年目の今年、遂に結実?

 果たして、ドラフト1位指名で日本ハム、楽天、西武との競合を制したロッテも、未完の大器の意向を受け入れた。ルーキーイヤーの佐々木は、1軍どころか2軍の公式戦にすら一度も登板せず、開幕前のキャンプから最後まで1軍に帯同しながらプロ仕様の体作りに注力した。

 全ては、現役時代にメジャーでもプレーした吉井コーチの判断だった。160km/h超の剛速球を連投すれば、肩や肘を中心に体には未知と言っていい負荷がかかる。人知を超えた最大出力に耐えられる体が備わるまでは実戦登板を解禁しないと、ロッテも慎重な育成計画を立てた。

 2年目だった昨シーズン。2軍戦で20イニングを投げて、防御率0.45と好成績をマークした佐々木は21年5月16日の西武戦で先発のマウンドに立ち、待望の1軍デビューを果たした。

 もっとも、昨シーズンはデビュー戦で投じた107球が最多。10月までは登板間隔が常に10日以上空けられ、最終的に11度の先発で投球イニングも63回と3分の1にとどめられた。

 吉井コーチが退任し、中長期的な視野に立った強化策の策定や実施などを担って新設されたピッチングコーディネーターに就いた今シーズンも、佐々木の育成計画は継続されている。

 3年目の最大の目標は、日本ハム戦後に井口監督がメディアに語った「1年間、ローテーションでしっかり回ること」に集約される。3月27日の初登板から4試合、全て日曜日に先発してきた佐々木に求められるのは、中6日の登板間隔とその間の調整方法を体に覚え込ませる作業に他ならない。

 必然的に球数も抑えられ、現時点で完全試合を達成したオリックス戦の「105」が最多。先発投手として試合をしっかり作り、その上で勝利がつけば申し分ないというスタンスが取られた。