三田紀房の投資マンガ『インベスターZ』を題材に、経済コラムニストで元日経新聞編集委員の高井宏章が経済の仕組みをイチから解説する連載コラム「インベスターZで学ぶ経済教室」。第97回は、投資において「身銭を切る」ことの重要性を力説する。
数兆円のファンドマネージャーが語ったこと
投資部の存続を賭けた藤田家の御曹司・慎司との三番勝負の緒戦、主人公・財前孝史は最終盤に捨て身の賭けに出て勝利をつかむ。決着後、慎司は財前の行動を「投資ではなく博打」と非難する。会話の間にマーケットから目を離した財前は大幅な損失を被る。
数兆円規模の超大型ファンドの運用を担当するファンドマネジャーに「自分の判断で数百億円単位の利益が出たり損が出たりするのって、どんな気分ですか」と興味本位で聞いたことがある。
「投資家の皆さんから預かった大切なお金だ、ということはもちろん、忘れませんよ」と断った上で、「でも、普段は『これはただの数字だ』と考えるようにしている。お金だと思うと身が持たない」と本音を教えてくれた。
慎司との対決で見事に勝利をおさめた直後、マーケットが動いて大損したのに、気にするそぶりも見せない財前を、周囲は「大物」のように扱う。それは一面としては当たっているかもしれない。だが、忘れてはいけないのは、道塾投資部のメンバーが扱っているのは学園の運用資金、しょせんは他人のお金でしかないことだ。
投資にしろ、ギャンブルにしろ、身銭を切ってやるか、そうでないかは、決定的な差を生む。身銭を切らないと、人間は真剣になりきれない。
冒頭のファンドマネジャーのように、冷静さを保つために「ただの数字」と割り切る思考法には意味があるだろう。プロにとって、運用成績は自身の評価とプライドに直結し、そこには職業人としてのキャリアがかかっている。成果主義報酬の設計次第では「身銭を切る」に近い状況にもなり得る。
ヘッジファンドの恐ろしいルール
ヘッジファンドの場合はもっとクリアで、創業者は自己資金も運用するファンドに投資し、引退するまで引き出せないというルールをもつケースが少なくない。運用成績と自分の財産の浮沈は一蓮托生だ。「身銭を切らせる」ことの重要性に着眼した仕組みと言える。
普通の人間が身銭を切らない環境でお金を扱うと、モチベーションとモラルハザードの落とし穴が避けられない。例えば近頃はお金を賭けない競技麻雀が人気だが、素人がノーギャンブルで徹マンをやれば、夜中2時あたりにはグダグダになるのが目に浮かぶ。
純粋に技量を競い合うスポーツとは違って、コントロール不能な運の要素があると、人の行動や選択は雑になりやすい。リスクに鈍感になり、むやみに一発逆転の大物を狙うといった荒れた判断に傾きやすくなる。
だから私は、金融教育の一環として一部で導入されている「株式投資ゲーム」の類いには懐疑的だ。株式市場の仕組みと取引の流れを知るチュートリアルとしては、体験型プログラムは悪くない。だが、仮想売買では「身銭を切る」意味は分からず、文字通り、ただのゲームで終わってしまうだろう。
投資では、心理的なファクターが決定的に重要な役割を果たす。相場の浮き沈みと心の揺れにどう折り合いを付けるか。それを学ぶには「身銭を切る」しかない。