4面のテニスコートなど、千代田区内の学校としては広い校庭を持つ女子学院。校舎は1992年に、以前の建物と同様の内容で建て替えられている

鵜崎創(うざき・はじめ)
学校法人女子学院院長、女子学院中学校・高等学校校長

*「崎」は正しくは「たつさき」
 

1964年東京生まれ。国際基督教大学卒業後、旭化成に勤務。89年、テネシー明治学院高等部の設立に理科教員として参加。恵泉女学園中学・高等学校副校長を経て、2016年より現職。

 

新型コロナ禍で迎えた創立150周年

――現在地に移転、現校名になってから最初の院長である矢嶋楫子(やじま・かじこ)さんの伝記映画が公開されていますね。

鵜崎われ弱ければ 矢嶋楫子伝』(山田火砂子監督)です。配給している現代ぷろだくしょんは、留岡幸助(監獄での教誨師時代を務め、児童自立支援施設を創立)さんとか、山室軍平(牧師で日本人初の救世軍士官)さんといったキリスト者の生涯を次々に取り上げています。その流れで、小説(三浦綾子原作)を映画にしたいと、創立150周年式典の準備をしていた2020年の春に言われました。
*「崎」は正しくは「たつさき」(以下同)

――日本初の女医である荻野吟子やキリスト者の賀川豊彦の作品も撮っている山田監督は、今年90歳で日本最高齢だとか。校内でも上映する予定はありますか。

鵜崎 東京では、なかのZERO大ホールや調布文化会館などから始まりました。ゆかりのある場所やロケ地の公民館といった公共施設などで上映されているようですが、新型コロナ禍の影響で、上映中止や延期になったりもしているようです。

 創立150周年の記念行事も1年延期され、昨年秋に行いました。本校には、全国での上映が一通り終わってからお呼びしようかと思っています。

――校内で真っ先に上映されたのかと思っていました。

鵜崎 こういう状況なので、いまは生徒が一堂に入れないこともあります。

[聞き手] 森上展安(もりがみ・のぶやす) 森上教育研究所代表。1953年岡山生まれ。早稲田大学法学部卒。学習塾「ぶQ」の塾長を経て、1988年森上教育研究所を設立。40年にわたり中学受験を見つめてきた第一人者。父母向けセミナー「わが子が伸びる親の『技』研究会」を主宰している。

――院長は女子学院にいらしてからどのくらいたちますか。

鵜崎 2016年からなので、ちょうど6年間が終わり、着任したときの新入生がこの3月に卒業しました。

 バブル経済期で引く手あまただったこともあり、私は最初、メーカーに入り研究開発職に就いていました。しかし、元々教員志望だったこともあり、知り合いの方がテネシーに立ち上げた明治学院の日本人向け在米高校の設立(1989年)に理科の教員として参画しました。明治学院は日本最古のキリスト教主義の学校です。

――同じ頃に、慶應義塾(ニューヨーク)や聖学院(アトランタ)など、同様の学校が開校していますね。

鵜崎 当時は日本人学校が中学校までしかなかったので、高校もつくろうと。

 ところが、学校を設立した直後にバブル経済が崩壊、湾岸戦争(1990年)も起きて、駐在員が日本に引き揚げ始めました。当初はアメリカにいる生徒を対象にしていましたが、途中から各校とも、寮生活を送る生徒を日本から集めるようになっていきました。

――前任校の恵泉女学園と女子学院は同じキリスト教主義の学校ですが、どのような違いがありますか。

鵜崎 プロテスタント系の学校として、教育理念や基本的な考え方は共通しています。学校生活や校風の点で異なる部分はありますが、どちらの学校もキリスト教を基盤とした強固な教育理念の上に立っています。

――恵泉女学園も、創立者である河井道さんを描いた小説『らんたん』が出ましたね。著者の柚木麻子さんは卒業生だそうです。創立時の生き生きとした雰囲気が伝わっていいなあと思いました。

鵜崎 そうですね。キリスト教主義の学校には2種類あり、多少の違いはあります。女子学院のように宣教師が設立したミッションスクールと、その後に日本人の信者がつくった恵泉女学園のような学校です。後者の学校がつくられる頃には、ミッションスクールも宣教師の支援から独立して、日本人の手で運営されていました。