「式辞も涙のうちに終わり(中略)、小生の日本国並みに天皇陛下の万才で堂も揺れるような斉唱で閉づ」
これは米軍統治下からの沖縄返還を実現した首相、佐藤栄作(当時)が、1972年5月15日の復帰当日に書き残した日記の一部(原文ママ)だ。佐藤は「米国に感謝、感謝」ともつづった。悲願が成就した日の高揚した気分が伝わってくる。ただし国内には復帰の方法を巡って根強い反対論が存在した。佐藤はこうも記した。
「社会党並みに共産党は欠席。又夜おそくまでデモる。困った連中だ」(原文ママ)
復帰当日の式典は東京の日本武道館と那覇市民会館の2会場で行われた。那覇会場では復帰に伴って初代沖縄県知事になった屋良朝苗が万感の思いを口にした。
「長く苦しかった試練を乗り越え、いまここに夜明けを迎えました」
それから満50年。5月15日の「沖縄復帰50周年記念式典」は沖縄・宜野湾市の沖縄コンベンションセンターと東京・グランドプリンスホテル新高輪をメイン会場にして、天皇、皇后両陛下が皇居・御所からオンラインで出席される形で開催された。
しかし、首相の岸田文雄、沖縄県知事の玉城デニーの式辞は共に“熱量”が少なかった。沖縄出身のジャーナリストも「儀礼的でまさに型通りのセレモニーに終わった印象だ」と語る。むしろ天皇陛下のお言葉の方が強い思いが込もっておられたのではないか。
「本土復帰の日、中学1年生であった私は、両親と共にニュースを見たことをよく覚えています」