ロシアは歴史的に、石油・天然ガスの開発において「米英などの外資を呼び込み、生産量が上がると外資を追い出す」「しかし、自前で生産できずに生産量が落ち込み、また外資を呼ぶ」ということを繰り返してきた(第103回)。今回の流れも、その歴史の繰り返しの延長線上にある。

 今後、石油・ガスの権益を巡る争いに起こることは、端的にいえば「昔に戻る」ということではないだろうか。第1次世界大戦(1914~18年)前後に石油が主要なエネルギー源となって以降、第2次世界大戦(1939~45年)を経て東西冷戦期まで、石油・ガスの権益は、現在のスーパーメジャーズの前身である「セブンシスターズ」と呼ばれた米英の石油カルテルが支配した。

ロシアが天然ガス事業で
世界的影響力を持った理由とは?

 欧州では、石油の権益を持たないドイツやイタリアなどは、セブンシスターズから石油を購入するしかなく、自国のガソリン価格、電気料金などを自ら決めることができなかった。

 しかし、この支配体制に逆らおうとする動きが起きた。1950年代、イタリアではエンリコ・マッティが「イタリア国営石油会社」を設立した。イタリアは、米英メジャーから石油を輸入するため、国際収支は常に赤字だった。そこでマッティは、イタリア経済を復興させるため、イタリア独自のエネルギー資源開発を目指した。

 マッティは、米英の石油会社をセブンシスターズ(=7人の魔女)と皮肉を込めて名付けた人物だった。それは、この石油カルテルに絶対に服従しないという、彼の信念が込められていたという。

 マッティは、当時米英と対立関係にあったイランと手を組み、イランの国営石油会社「NIOC」と同額ずつ資本金を出して子会社を設立することを提案した。また、当時のソビエト連邦(ソ連)と石油供給の直接交渉を行った。しかしマッティは、自家用機の墜落によって謎の死を遂げた。
            
 この状況が変化したのは、1960年代に天然ガスが商品化されてからだ。実はそれまで、石油生産の際に発生する天然ガスは使用されず捨てられていた。

 当時の欧州でガスといえば、都市中心部に位置する小規模なガス製造所がつくる「都市ガス(town gas)」か、製鉄の過程で副産物として発生する「コークガス(coke gas)」が一般的であり、これらは深刻な大気汚染を引き起こしていた。

 しかし、1960年代に天然ガスが商品化されて以降は、環境汚染を起こさないクリーンなエネルギーとしてガスが注目され始めた。ソ連各地で天然ガスのガス田が開発され、パイプラインの技術の進歩で数千キロ先にガスを送れるようになり、価格面で石油、石炭と競争できるようになった。

 衛星国家であった東欧諸国を皮切りに、欧州にパイプラインが敷設され始め、ソ連の天然ガスビジネスがスタートした。