変化していた横浜中華街
コロナで大型店には逆風も

 横浜中華街に訪れたことがある人の中には、「なんだか町の雰囲気が変わった」と感じた人も少なくないのではないだろうか。筆者の印象では、横浜中華街が変化し始めたのは、2015年の「爆買い」ブームの頃からだ。中国から団体観光客などが訪れるようになって客層が変わった。若者が増え、中高年が減り、店舗も入れ替わりが激しくなった。

 かつては地方からの観光客やカップル、ファミリー層、修学旅行生など幅広い年齢層の人がいて、地方からやって来た客の中には「横浜で初めて北京ダックを食べた」といった思い出がある人も多い。

 バブル期は企業の接待なども多く、豪華なコース料理などが人気を博した。経営しているのは老華僑と呼ばれる、横浜生まれ横浜育ちの中国人だ。1859年の横浜開港以降、西洋人とともに来日した中国人が店を開いたのが始まりだ。

 だが、次第に新華僑(1980年以降に来日したニューカマーの中国人)が出店することが増え、業態も激安の「食べ放題」や、肉まん、甘栗などを外で売る店、立ち食いできるファストフードなどに変わってきた。数年ぶりに訪れた人なら、「中華街なのに、中華料理以外の店が増えた」という印象を持った人もいるだろう。

 新たな業態の登場も街を変化させたが、横浜中華街の老舗中華料理店にとって大打撃となったのは、やはり2020年に始まった新型コロナウイルスの感染拡大だ。営業自粛は各店舗の経営を圧迫させた。

 横浜中華街発展会協同組合の調査では、2021年からの1年間で約40店舗が閉店に追い込まれた。大人数で円卓を囲み、中華料理を食べるというシチュエーションも減ったことから、従業員を多く抱える聘珍樓のような大型店には厳しい風が吹き続けた。

 また、こうしたことに加えて「中華料理といえば横浜中華街」といった考え方を変えたのが、日本人の「本格的な」中華料理に対する意識の変化だと筆者は考えている。