ファミリーマートPhoto:Sipa USA/JIJI

2度の石油ショックと
環境意識の高まり

 石油ショックは1970年代に2度、起こっている。第1次石油ショックは1973年。第4次中東戦争を機に起こったもので、この時OPECは石油の公示価格を約2倍に引き上げた。石油自給率の高いアメリカ、ソ連(当時)はともかく、日本とヨーロッパは大きな打撃を受け、トイレットペーパーや洗剤の買い占めが起こった。

 第2次石油ショックは1979年。イラン革命を機に起こったのだが、この時も経済と生活に打撃は受けたものの第1次ほど日本社会は混乱していない。

 それは第1次石油ショックの後、省エネ意識が役所や企業や消費者に浸透していたからだ。誰もが資源の節約、石油の使用量を減らそうと考えながら暮らしたのである。

 コロナ禍では国民の9割以上がマスクを着けて暮らすようになった。日本人は危機になるとルールを守ろうとするのだろう。よく日本人は個性を重んじない、個人が確立していないと言われる。それは個性がないのではなく、個性や主張を自制して集団が目指す方向に忠実に従うからだ。

 さて、第1次石油ショック時、日本は石油の高騰に苦しんだ。だが、人間は苦しくなれば知恵を出して、どうにか乗り切ろうとする。逆に、苦しくなるまで動こうとしないのも人間である。

 第1次石油ショックの後、産油国のソ連およびソ連の石油を安く買うことができる東側諸国は動かなかった。つまり、省エネ技術を取り入れる努力をしなかったのである。

 ソ連は東側諸国に安価な石油を供給し続けたため、たとえば燃費が悪い東ドイツ製の自動車は性能が向上しなかった。そうしているうちに自動車だけでなく工作機械なども省エネ技術に乗り遅れ、結果として西側の企業とは技術格差が付いてしまう。