伊藤忠商事の瀬島龍三元会長伊藤忠商事の瀬島龍三元会長 Photo:JIJI

組織運営における
軍隊と会社の相違点

 瀬島龍三の伊藤忠時代の仕事をあらためて考えると、いすゞ、GMの提携に見るような調整役としては機能した。世界最大の企業といすゞが提携できたのは、いすゞの代わりに交渉した伊藤忠が両者に気を配り、落としどころがわかっていたからだ。

 一方で、東亜石油の案件では「原油価格は上がり続ける」という仮説を信じすぎた。仮説に基づくオペレーションの結果、東亜石油への投資は伊藤忠に大きな損失をもたらしている。

 元々の発案と投資の決断をしたのは社長の越後正一だから、瀬島と業務本部は直接の責任者ではない。そして、役員会を補佐役と規定していたから、越後の専断を止めることはできなかった。幕僚はあくまで補佐役で、しかも、攻撃を助ける献策をすることが役目だった。

 強気の経営者が攻めている最中に、「ここでやめましょう」と押しとどめる勉強はしていなかった。

 陸軍の参謀時代、日本が太平洋戦争に突入していった判断のミスに対して、瀬島はこう述べている。

「『支那事変処理重点方針』という従来の国策に「南方問題処理」が加わり、「二元的国策」になった最大の要因は、欧州戦局に対する判断の甘さ、すなわち、ドイツの国力・戦力を過大評価し、英国と米国の戦争遂行力を過小評価したことにあったと思われる。

 支那事変解決の見通しが立たないことへの焦燥感があったにせよ、岡田課長の言う『無疵の連合艦隊』を持ちながら静然と世界情勢の変局に対応していく『ウエイト・アンド・シー』の選択がなぜ、できなかったのか。それは決して不可能ではなかったはずである。今さらながら残念に思う」

 結局、大本営は敗戦まで、「ウエイト・アンド・シー」の策を取り上げてはいない。東亜石油に関しても、瀬島と業務本部は「ウエイト・アンド・シー」もしくは「ストップ」と献策したのかもしれないけれど、損失が出るまでは事業は止まらなかった。

 経営者の肝いり事業を止められないのは幕僚といえども部下だからであり、また、元はと言えば、業務本部が社長の役割を取締役会の議長ではなく、最高経営責任者と決めたことから来ている。

 瀬島は軍隊の指揮運用と企業経営を次のように比較している。

「会社も軍隊も所詮は人間の集団であり、組織である。軍隊は国家を至上目的とする組織で、会社は各人の自由意思で集まった集団である。軍も企業も経営者(指揮官)のリーダーシップが重要なだけでなく、目的達成のための先見性、情勢の判断、計画性、戦力投入の方策などについてはよく似ている。また、軍も会社もともに極めて厳しいもので、軍は勝敗であり、企業は結果と言われるくらいである。

 しかし、両者の相違の最たる点は、運用、運営の手法で、軍は基本的に命令による上意下達だが、経営は上意下達、下意上達を含め、できるだけ全構成員に経営参加意識を持たせることが大切ということだ。これは前に書いたように、組織構成の根本が異なるからである。このことを絶えず反省し、心がけてきた」

 自由意思で集まった集団を結束させるために何をやったか。