業界再編により
総合商社は7社に
商社は自ら変わらざるを得なくなった。これまでも環境の変化に合わせて仕事を変えてきたのが商社の姿であり、本質だからだ。
各総合商社は、1990年代の後半からバブル崩壊後の清算を急ぎ、体質改善を進めていった。不良資産を処理し、加えて人員を減らしていった。
1997年から2001年にかけて連結ベースの資産は、8社合計で47.4兆円から37.0兆円へと約22%減少している。伊藤忠は7.3兆円から5.2兆円へ減少した。また、8社合計の社員数も4万5234人から3万4053人へと減った。
そして、業界の再編もあった。1999年、兼松は不採算部門を切り離し、事業規模を縮小させ、ITと食品に特化した専門商社になった。
2003年にニチメンと日商岩井が合併し、双日となる。そして2006年にはトーメンとそれまでは総合商社とは呼ばれなかった豊田通商が合併し、名称は豊田通商になった。
こうして8社あった総合商社は豊田通商がトーメンとの合併で参入してきたけれど、結果としては7社になったのである。
加えて、財閥や銀行グループの垣根を超えた商社間での事業統合も進んだ。
2001年、伊藤忠と丸紅は鉄鋼事業を統合して伊藤忠丸紅鉄鋼を設立。翌年には三井物産と住友商事が建材事業を統合して、三井住商建材(2017年に丸紅建材と事業統合しSMB建材に)を設立し、2003年には、三菱商事と双日が鉄鋼事業を統合してメタルワンを作った。2008年には三井物産と丸紅がLPG事業を統合して三井丸紅液化ガスを設立している。
その頃には各社とも、もはや企業集団のつながりなど気にかける余裕はなかったのだろう。厳しい経営環境の中で、生き残るためには現実を見つめることしかできなかった。
このように90年代末からは総合商社にとっては厳冬の時期だったが、結果としては、追い込まれたことで、各社ともこの時期に業態を変え、2000年以降、業績を伸ばしている。結局、人間が自ら変わる時は追い込まれた時しかないのかもしれない。