「この5年後に亡くなるとは……」と、15周年リサイタル(青山劇場、2000年10月13日)の記録用ビデオを見ながら、高杉敬二さんは絶句した。ミュージカル、演歌、ロック、ポップス、クラシックを縦断するリサイタルで、それぞれの歌唱法によって声の質を変えながら、この時点で最高の歌唱を聴かせた。終演後、舞台で客席から次々に渡される無数の花束に包まれて、本田美奈子さんは感涙の中にあった。

オール・ジャンルのリサイタル

「本田美奈子15周年リサイタル 歌革命」(2000年10月13日、青山劇場)のチラシ
「歌革命」パンフレットの表紙

「リサイタル」とは、1人の演奏家が一晩の演奏会を催すものである。「コンサート」はオーケストラなど、複数の演奏家が音楽を奏でる。もともとクラシックの用語だ。ポップスではソロ・コンサートやライブと呼ぶことが多い。

 語源のreciteは「詩を暗誦する」という意味なので、日本語では独唱会(独奏会)ということになる。クラシックでは、オーケストラをバックにして1人の演奏家が登場する場合はリサイタルとは言わない。どちらかといえば室内楽程度の小編成をバックにして歌う場合や、ピアノ伴奏だけの場合をリサイタルと呼ぶ。

 本田美奈子さん初のリサイタルも、こうしたクラシックの用語法を援用したのだろうが、直接的には越路吹雪さん(1924-80)の「ロングリサイタル」を継承したいという意図があったようだ。

 本田美奈子さんのリサイタルのスタッフリストには、

出演    本田美奈子
ゲスト   楠瀬誠志郎
      黒田晋也
監修    岩谷時子
      高杉敬二(BMI)
構成・演出 長束利博(ハテナス)

 と記載されている。監修者として越路吹雪さんのマネージャーにして膨大な作詞訳詞を手がけた岩谷時子さん(1916-)の名前がある。岩谷さんはもちろん「越路吹雪ロングリサイタル」のスタッフでもあった。

「越路吹雪ロングリサイタル」(1978年9月1日-20日、10月18日-26日、日生劇場)パンフレットの表紙

 越路吹雪さんのリサイタルは1953年(銀座ヤマハホール)に始まり、年に数回、それぞれ2日から1ヵ月の公演で、亡くなる80年の春まで続いた。年間の回数と日数は変動した。大変な人気で、筆者は70年代の終わり、大学生のころにまったくチケットが買えなかったことを覚えている。

 伴奏するバンドは金管楽器を多用していた。たとえば78年秋の「二十五周年記念ロングリサイタル」時は11人編成だった。キーボード(アコーディオン持ち替え)2、ドラムス1、ギター1、ベース1、パーカッション(兼ハモンドオルガン)1、トランペット(フリューゲルホルン持ち替え)3、トロンボーン1、アルトあるいはテナーサックス(フルート持ち替え)1、となっている。小型のビッグバンドのようだ。