キャリア教育の高校必修化は
親切ではなく、お節介

 一般に、「親切」と「お節介」の関係は微妙であり、1つの行為が親切とお節介のどちらになるのか、区別が付きにくい場合がしばしばある。しかしこれは、明らかにお節介ではないかと思うのが、文科省が検討しているという高校生に対するキャリア教育の必修化だ。

 日本の高校生が自主的な勉強時間が国際的に見ても少ないことに対して、将来への目的意識を持たせるために、高校1年生の時点で週に1時間、必修でキャリア教育の時間を持たせるというのだが(『読売新聞』1月15日朝刊)、目的と手段の見合わせにも、効果にも疑問がある。

「週に1時間を1年間」という時間配分は決して小さくない。最終的に勉強時間を増やすことが目的なら、重点を置くべき学科の勉強時間を増やした方がいいのではないか。語学でも、情報処理の基礎となる数学でも、あるいは物理をもっと丁寧に教えるなど、時間があれば強化したい教育内容は他にいくらでもある。

 生徒が教科の内容に興味を持つように教えるなら、文科省が気にしているらしい「自主的な勉強時間」も、授業内容そのものを充実させる方が増えるかも知れない。

 近隣の企業で体験労働してみたり、生徒同士でディスカッションをしてみたりすることで、平均的に勉強時間が増えるとはとても思えない。

 日本全体に著しい学力低下をもたらした「ゆとり教育」の場合ほど「被害」は大きくないかも知れないが、「高校時点でのキャリア教育必修化」は、高校教育における貴重な時間を無駄に使うことにつながる愚策ではないか。

 キャリア教育は、そもそも学校で強制的に取り組ませるようなテーマなのか。

 文科省は「早い段階からの進路の意識付けが必要」だとして、高校1年生時点での必修化を考えているようだ。