「ワクワクする道」を選べば
キャリアは自然と拓ける

 2022年4月から大村さんは、客員研究員としてアメリカのノースカロライナ大学に留学している。来年2月には、アメリカ頭蓋底外科学会(North American Skull Base Society)で、医師たちに手術手技を教える講師を務める予定だ。それは、大村さんの技術が東南アジアだけでなく、医療先進国のアメリカでも評価されたことを意味している。

 医師になったばかりの20代前半に、ミャンマーでの海外協力活動に参加するか、アメリカ行きを目指して横須賀の海軍病院に勤務するかで、人生における重要な決断を迫られた大村さん。当時は、周囲の人たちからミャンマー行きを大反対されたが、もしあのとき海軍病院を選んでアメリカに行っていたら、「きっと今の自分にはなっていなかった」と話す。

「鼻の手術で日本一になりたいと思ったのは、その技術を使って東南アジアで技術支援をしたかったから。だから、もしミャンマーでの活動に参加していなかったら、世界中の医師たちに手術を教えるような、今の僕にはなっていなかったでしょうね」

年に「1週間」のライフワークで、人生は圧倒的に「豊か」になる年々、東南アジアの医師たちの技術力が上がり、より難易度の高い手術を教えている(右から2人目が大村さん)(photo by 安永ケンタウロス)

 海外協力活動を「面白そう」だと感じ、自分の直感を信じて動いた大村さん。それによって、医師としてのキャリアは大きく拓かれた。キャリアとは、頭で考えて設計していくのではなく、そのときそのときの直感で動いていった先に、結果としてついてくるもの。それが、これまでの自身の歩みを振り返った大村さんの考えだ。

「他の人からすれば、たぶん寄り道ばかりしているように見えると思います。でも、僕としては全然そんなことはなくて、これまでやってきたことは全てつながっている。キャリアを考えながら進むのではなく、自分のやりたいことをやってきた結果がキャリアになるのではないでしょうか」

 仕事は、そのときに一番やりたいことをやる。キャリアのために必要なものよりも、自分がワクワクする道を選ぶ。そうやってワクワクする道を選び、ひたすら行動し続けた大村さんだからこそ、他の誰とも違うオリジナルのキャリアをつくることができたのだ。最初から目指していたら、決してたどり着けなかったような場所に、今、大村さんは立っている。(完)