起業家やVCなど、スタートアップ関係者の間で必読書となっている『起業のエクイティ・ファイナンス』が、8年ぶりに全面改稿されました。初版時の赤いカバーとの区別で、「青版」とも呼ばれる『増補改訂版 起業のエクイティ・ファイナンス』は、どのように変わったのでしょうか?
(この記事は、『増補改訂版 起業のエクイティ・ファイナンス』の本文の一部を改変したものです。)

『増補改訂版 起業のエクイティ・ファイナンス』と『起業のエクイティ・ファイナンス』(撮影)ダイヤモンド社

 スタートアップが成長するために最も重要な要素を何か1つ選べと言われたら、それは「優秀な人を引き込む」ことだと思います。「優秀な(いい)人」には、いい幹部、いい従業員、いい顧客、いい投資家などが含まれます。

 そして、スタートアップのファイナンスも、この「人を引き込む」ことを中心に考えるべきです。つまり「ファイナンス」ではあるのですが、単に資金を調達することではなく、その核心は「いい人」を引き込むための「インセンティブ設計」として考えるべきなのです。

 スタートアップのファイナンスが持つ「力」は、スターウォーズに出てくる「フォース」に非常に似ています。

 スターウォーズの3つの3部作(トリロジー)のそれぞれ真ん中の、エピソード2、エピソード5、エピソード8は「修行」がテーマの回と言えると思いますが、まずエピソード5では、ルーク・スカイウォーカーがダゴバ星でヨーダの修行を受けたとき、スタートアップ経営者の参考にもなる以下のようなヨーダの名言がいくつも出てきます。

 ●“Do. Or do not. There is no try.”
 ●“No! No different! Only different in your mind. You must unlearn what you have learned.”
 ●(ルークの “I don't... I don’t believe it.” に対して)“That is why you fail.”
 ●“You must feel the Force around you. Here, between you, me, the tree, the rock, everywhere!”

 エピソード8では、エピソード5でヨーダにシボられていたルークが、今度は(上から目線で)主人公のレイにフォースについて訊ねています。

 Luke : What do you know about the Force?
 Rey : It's a power that Jedi have that lets them control people and make things float.
 Luke : Impressive. Every word in that sentence was wrong.

 スタートアップにたとえると、「ファイナンスというのはCFOやCEOがするものであって、給料を払ったり、パソコンを買ったりするためのもの」と言ってるようなものですが、それではスタートアップやそのファイナンスの本質をまったくわかってないわけです。

「フォース」は架空の力ですが、スタートアップの成長のために使うべき「力」は、実際あなたの周囲に満ちています。それは「周囲の人が持つ力」であり、スタートアップの成長は、その「他の人が持つ力」をいかにそのスタートアップに取り込むか、の勝負なのです。

 自分が思い描く将来の「ビジョン」を強く信じて、周囲に熱く語り、優秀な仲間を引き込んで、将来を感じさせる結果を出し、資金を調達して、ストックオプションも発行しますが、それはそういう「手法」が重要なのではなく、「ビジョン」に近づくことが重要なのです。

 そして(非常に多くの経営者が間違うのですが)、それを行うためには、「自分のパワー」だけを振り絞るのでは、(エピソード5のルークが、沼からXウィング戦闘機を「自分の」念力で持ち上げようとしたようなもので)ほとんどの場合うまくいきません。*1

「いかに周囲の力を引き込むか」という観点から、ファイナンスのフォースを使っていただければと思います。

*1 「他の人の力を借りなければ成長しないのは、当たり前じゃん」と思われる方も多いと思いますが、実際に極めて優秀なスタートアップ経営者でも、優秀な他人に権限を委譲しようとすると、「私より任せたやつのほうが注目を浴びてしまうのではないか」「私が何もやってないと思われてしまうのではないか」「リーダーとして私が優秀であることを示す必要があるのではないか」「私がやったほうが速いのではないか」といった思いや恐怖にとらわれて、仕事を自分でどんどん抱えてしまいがちですし、場合によっては、部下や投資家を「論破」したり、「自分は間違っていない」という弁明や「自分がいかに優秀か」という主張にパワーを割くようになってしまいます。そうしたモードのうちは、たいていスタートアップは成長しませんし、従業員を採用すればするほど、逆に経営者の重荷が増えていき、組織の士気は低下し、離職が相次ぐ、といった現象が発生します。
 スタートアップ経営者は、イノベーション度が高ければ高いほど、「vulnerable」である必要があります。vulnerabilityについては、『増補改訂版 起業のエクイティ・ファイナンス』序章でもう少し詳しく説明しています。

 この『起業のエクイティ・ファイナンス』という本を最初に出版したのは2014年7月でしたが、そこから現在(2022年6月)までの8年間の間に、日本のスタートアップ生態系は、驚異的に量的・質的な発展を遂げました。しかしその間、米国シリコンバレーを中心とする世界のスタートアップの環境は日本をはるかに超えるスピードで成長し、なんと、差はますます開いてしまいました。たとえるなら、日本の移動手段が徒歩から自動車に進展した間に、世界の人たちは飛行機からロケットに乗り換えてしまったような感じです。

 このような環境の大きな変化のため、初版時に日本での最先端を意識してご紹介した知識やノウハウも、8年経ってみると、現実と合わない部分や、その後に改良が進んだ部分も出てきていました。また、初版は一見バラバラなテクニックの寄せ集めに見えていたかもしれませんので、内容を「インセンティブ設計としてのエクイティ・ファイナンス」という観点から全面的に見直しました。つまり、起業家や役職員、投資家などのスタートアップ生態系の各自がどのようなことを考えてスタートアップに関わっているかの見取り図を提供したいと思いました。結果として、この増補改訂版では、初版のすべての文章や図表を見直し、その大半を書き直すことになりました。

 日本のスタートアップ生態系が急速な進化を遂げたにもかかわらず、なぜ、米国等の海外にさらに引き離されているかというと、それはやはり「起業のエクイティ・ファイナンス」の浸透度の差であり、「起業のエクイティ・ファイナンスの本質は、インセンティブ設計なのである」という点についての理解の差が大きいと考えています。

 つまり、日本では「株」(エクイティ)というと、「実業とは、かけ離れた」「価格が上がったり下がったりする」「金融商品」といったイメージで考えている人が多いと思いますし、実際、個人投資家がトヨタ自動車の株を100万円分(つまりトヨタの企業価値の3000万分の1程度)だけ購入するといった場合には、そういう側面のみに着目すればいいはずです。

 一方、「株式」を表す英単語が「share(シェア)」である通り、「エクイティ」とはビジネスで生み出された価値を関係者間でどのように分ける(シェアする)か、という「インセンティブ設計」の話なのです。

 株式は今や「資本家」だけのものではありません。

 日本では、仮に自分の企業の価値が1000億円上がるようなことを考えた人がいたとしても、その人が大企業のサラリーマンなら、利益は会社がほとんどすべて持っていってしまって、その人には数百万円もボーナスが出たら「すごい!」という感じでしょう。つまり、この例だと、得られた企業価値上昇分の99.99%は、企業価値の向上に直接貢献した人以外が吸い上げてしまっているわけです。従来型の企業では、「労働者」と「資本」が別々に分かれてしまっているわけですね。

 私は日本で「カネのために働いている」という人が大きな成功を収めたのをあまり見たことがないのですが、しかし報酬に興味がないのをいいことに「得られた経済的価値をすべて、がんばった人から吸い上げてしまう」ような社会構造では、社会全体の価値を高めるエネルギーが湧き出してくるわけはありません。

 日本では、こうした従来型の企業が大半であり、「資本」と「労働者」がくっきり分かれているので、すぐに「富裕層は税率の低い株式関連の収入が多くて不公平だから、もっと株式関連の税率を上げろ」といった話になりがちです。しかし、それでは発想がまるで逆なのです。「普通に働く優秀な人」を「資本」(シェア)の世界に引っぱり込んで、そうした「社会をいい方向に変える人」への「分配」をもっと増やさないといけないのです。それがすなわち「起業」の持つファイナンス的・社会的な意義です。

 つまり、スタートアップを中心とする「実業」の世界では、株式やストックオプション、ファンドといったツールが「経済的インセンティブ」として用いられており、それらがGoogleやFacebook等の世界的企業を生み出し、今では、そうした企業*2によって世界のGDPの2割もが生み出されるようになっています。これによって、おそらく過去20年で、IT・バイオ等の世界最先端の事業を行うことに参加した創業者や経営陣・従業員、投資家などに対して、1000兆円単位の資金が分け与えられたはずです。

 *2 GAFA等の巨大企業に限らず、ベンチャーキャピタルから投資を受けたことがある企業全体。

 また、現代ではその「投資家」も、「暖炉の前で葉巻をくわえて悪だくみをする金持ち」といった人たちではありません。スタートアップに資金供給をしているのはベンチャーキャピタル(VC)が中心ですが、そうした海外のベンチャーキャピタル・ファンドに投資しているのは、年金や大学の資金運用等の機関投資家が中心です。そうした投資家は、投資先にESGやSDGsといった「いいこと」を求めますし、スタートアップの成長から分配される分け前は、そうした機関投資家を通じて、高齢者や障害者などの福祉や基礎的な研究開発などに活用されることになっているわけです。

 ただし、日本の成長の最先端、すなわちスタートアップの世界も、急速に変化しつつあります。

 たとえば、従来の日本では、こうした機関投資家の資金がほとんどスタートアップに入って来ていませんでしたが、ここ数年で年金等の資金が徐々に流れ込むようになってきています。

 人の流れも変わりました。現在では、東京大学をはじめとするトップクラスの大学の授業で、上場した企業の先輩CEO等を呼んで起業の授業が行われるようになり、そうした大学の学生や、外資系投資銀行員、外資系コンサルといった超優秀な人から、起業やスタートアップへの就職を目指すようになってきています。

 また、「起業のエクイティ・ファイナンスの浸透度が低い」と申し上げましたが、日本でも基礎的な知識は相当浸透してきています。初版では「優先株式がいかに大切か」ということを強調したのですが、現在はベンチャーキャピタルなどのプロが行う億円単位の大型のファイナンスにおいては、普通に優先株式が使われるようになってきています。「米国のconvertible equityと同様のことを日本で行うとしたら新株予約権を使う方法も考えられる」というところで止まっていた初版時の状況も、その後2016年に「J-KISS」というconvertible equityが登場し、ひな型が一般にも公開されて、現在ではデファクト・スタンダード的に使われるようになっています。

 優先株式の普及にともなって、投資契約の解説などを行う書籍等も出版されるようになりましたので、この増補改訂版では、契約書の具体的な条文を解説する部分は大幅にカットし、そうした契約を結ぶ際に注意すべき点や考え方に、より重心をシフトすることにしました。

 MBOや資本政策の是正なども、「スタートアップが最も成長するためのインセンティブ設計」の観点をより強調し、初版以降の制度改正などを反映させた「リストリクテッド・ストック」などの記載を加えています。

 ベンチャーキャピタルはスタートアップへの資金(血液)を供給するための「心臓」に相当しますが、初版で公開したストラクチャーを採用する独立系VCの数はこの8年間で大幅に増加し、「企業価値を高めることに貢献したベンチャーキャピタリストには、それに比例したリターンがある」という、VC業界のインセンティブ構造の変化も大きく進みました。VCファンドのストラクチャーも、その後の改良や法改正を反映させて、さらに使いやすい「日本での最終形」を提案しています。

 前述のとおり、日本のスタートアップ生態系は、今までよりもさらに変化のスピードを加速させていかなければなりません。

 この『起業のエクイティ・ファイナンス 増補改訂版』が、日本のインセンティブ構造を変革し、起業やスタートアップ投資にチャレンジする人を増やし、社会をよりよく変化させるためのお役に立てば幸いです。