安倍晋三元首相Photo:Pool/gettyimages

外交評論家で内閣官房参与の宮家邦彦氏が、現在の日本の外交・安全保障政策に通じる安倍晋三元首相の足跡を分析。Quad(日、米、豪、印4カ国の枠組み)の大本にあった本質的な動機、対中国・対ロシア戦略、経済と安保を結びつける新たなアプローチなどについて、凶弾に倒れた安倍氏への追悼の意を込め、寄稿した。

安倍元首相は外交政策の
在り方を抜本的に変えた

 凶弾に倒れた安倍晋三元首相に、まずは心から哀悼の意をささげたい。安倍家とのご縁は40年近くになるが、お世辞抜きで、晋三氏の功績は、日本の外交の在り方を抜本的に変えたことだと考える。

 実際、事件後に米国の外交関係の友人がメールを送ってきたが、「安倍さんは日本や日米関係を一変させ、世界が彼のおかげで日本の主張に耳を傾けるようになった」と高く評価していた。外国人から見たこの見方は、実に的を射たものと言えるだろう。米国だけでなく欧州やシンガポールなどの友人からも、同様の連絡が相次いだ。

外交評論家・内閣官房参与 宮家邦彦氏みやけ・くにひこ/1953年生まれ。神奈川県出身。元外交官。東京大学法学部の在学中に中国語を学び、77年台湾師範大学語学留学。78年外務省入省。日米安全保障条約課長、在中国大使館公使、在イラク大使館公使、中東アフリカ局参事官などを経て2005年に退官。06~07年総理公邸連絡調整官、06年より立命館大学客員教授。09年よりキヤノングローバル戦略研究所・外交安全保障 研究主幹。菅政権、岸田政権で「外交」担当の内閣官房参与を務める

 そういう意味で、本当に「巨星」を失ったと痛感している。今後万が一、日本の外交が迷走を始めるようなことがあれば、より安倍氏の遺(のこ)したものの大きさが浮き彫りとなるのではないか。

 その最大の理由は、先述のとおり、彼は外交政策の在り方自体を大きく変えてきたからだ。安倍氏は常に「日本が今何をすべきか」という問いに対し、戦略的に考え続けてきた。つまり、その場しのぎの一時的な状況への対応ではなく、日本が荒波を生き延びていくために何を行うべきか、である。

 安保法制や憲法解釈変更もそうだが、そもそも振り返れば、国家安全保障会議(日本版NSC)創設の効果が極めて大きかった。これにより、政府内での情報の流れ方が変わったからだ。

 対外的には、特に中国の潜在的な脅威を抑止するため、日米安保やQuad(日、米、豪、印4カ国の枠組み)、さらにTPP(環太平洋経済連携協定)やNATO(北大西洋条約機構)との協力を進めた。多様な手段を重層的に固め、日本の抑止力を高めなければならないと痛感していたからだろう。

 その前提として安保法制があり、憲法解釈の変更があった。ようやく日本も安保条約で米国を部分的にせよ守れるようになった。だからこそ、トランプ米大統領が就任しても、「日本は米国を守らずただ乗りする気ではないか」などと問題視されることを回避できた。単にトランプ氏とゴルフで仲良くなったからではなく、きちんと準備したからこそだろう。

 Quadもさかのぼれば安倍氏の「セキュリティ・ダイヤモンド構想」(2012年発表)が端緒だった。それは単なるレトリックではなく、インドの重要性を認識する発想に基づいていた。なぜそのように考えたのか。