デジタル世界でのシミュレーションと現実世界へのフィードバックループは、設計・開発から生産、アフターサービスに至る製品ライフサイクル全体に大きな変革をもたらす可能性を秘める。だが、日本の強みを活かすデジタルツインの活用法については、まだその解を見出せていない。その具体的なアプローチとして東京大学の梅田靖教授が提唱するのが、人を中心とするデジタルエンジニアリングサイクル「デジタルトリプレット」である。

デジタルは
コストダウンの道具ではない

編集部(以下青文字):「デジタル」「グリーン」に象徴されるメガトレンドが、さまざまな産業に大きな影響を与えています。我が国の基幹産業である製造業の現状について、どうご覧になっていますか。

デジタルトリプレットで<br />日本のものづくりの強みを進化させる東京大学大学院 工学系研究科 人工物工学研究センター 教授
梅田 靖
YASUSHI UMEDA
1992年3月、東京大学大学院工学系研究科精密機械工学専攻博士課程修了。博士(工学)。同大工学部助手、講師を経て、1999年に東京都立大学大学院工学研究科機械工学専攻助教授、2005年に大阪大学大学院工学研究科機械工学専攻教授を経て、2014年に東京大学大学院工学系研究科精密工学専攻教授。2019年より同研究科人工物工学研究センター教授。

梅田(以下略):デジタル、グリーンへの対応はある程度、進んでいると思います。特に菅義偉内閣(当時)が2020年秋に「2050年カーボンニュートラル」を宣言して以降、グリーンについては欧米に対するキャッチアップの動きが加速しています。

 一方で、デジタルに関してはやはり欧米に遅れているのではないでしょうか。日本はコストダウンによって、いいものを安くつくってきた成功体験があるだけに、デジタルについても「コストダウンの道具」だととらえる向きが多い。

 1980年代から工場の自動化など日本のオートメーション化はかなり進んでおり、デジタルによるさらなるコストダウンには限界があります。単なるコストダウンの道具ととらえると、デジタル投資による大きな効果は見込めず、それが大手から中小企業まで、デジタルに思い切った投資ができない要因となっているのではないでしょうか。

 ドイツが官民一体となって進める「インダストリー4.0」は、企画、設計、調達、製造といったエンジニアリングチェーンがネットワーク化され、さらには取引先を含むバリューチェーンもデジタルでつなげることで、ものづくりやビジネスモデルの変革を目指すものです。このように、コストダウンを超えたところに視座を高めないと、デジタル投資の真の価値や投資効果は見えてきません。

 政府は、「ソサエティ5.0」や「コネクテッドインダストリーズ」を提唱し、サイバー空間とフィジカル空間を高度に融合させた社会・産業システムの開発、社会実装を推し進めようとしています。

 人間を中心に置いて、サイバーフィジカルシステム(CPS)により経済発展と社会的課題の解決を両立するというソサエティ5.0の方向性は正しいと思います。欧州委員会が2021年に発表した「インダストリー5.0」は、インダストリー4.0に「ヒューマンセントリック」(人間中心)、「サステナビリティ」(持続可能性)、「レジリエンス」(柔軟な回復力)の3つのコンセプトを足さなくてはならないと提唱していますが、これは日本のソサエティ5.0をかなり意識したものだと感じます。

 内閣府の総合科学技術・イノベーション会議を司令塔とする戦略的イノベーション総合プログラム(SIP)では、(2023年度以降の)第3期でソサエティ5.0を実現すると言っていますが、残念ながら民間の動きがまだ追い付いていません。どの企業もDXを経営課題に掲げている割には、デジタル投資が小出しで、一部の業務をデジタル化するといったレベルに留まっています。

 先日、シンガポール科学技術研究庁(ASTAR)が開催した国際会議にオンライン参加したのですが、デジタル化のユースケースが次々に紹介されていました。

 デジタルも道具ですから、道具を使いこなして、どう価値創造に結び付けるか、そのアイデアの勝負です。「何をやればいいのかわからない」という企業にとっては、成功事例、失敗事例をたくさん知ることで、「こうすればいいんだ」という発想が刺激されます。

 たとえば、デジタルエンジニアリングによるモデルベース開発で、全車種のベースとなる画期的なアーキテクチャー「SKYACTIV」(スカイアクティブ)を生み出したマツダのような成功事例が日本にもあります。

 このような具体的な効用がイメージできるユースケースが、ずらりと揃ったショールームのようなものがあれば、日本企業のマインドセットも変わるのかもしれません。