徳川家康公像(愛知県岡崎市)徳川家康公像(愛知県岡崎市) Photo:PIXTA

家康の関東移封は、事実上の「左遷」だったのではないかとよくいわれる。しかし、実のところ、家康が任された江戸という土地は非常に将来有望な場所だった。そんな家康が関東で推し進めたのが、治水と新田開発だ。家康が始めた「大改造」によって、現在の関東地域は形作られたのだ。その軌跡を追っていこう。(作家 黒田 涼)

家康の関東移封は“左遷”だったのか?

 豊臣秀吉から、関東への移封を命じられた徳川家康。これは秀吉の意地悪で、家康や家臣一同涙をのんで従った――とよく言われるが、本当にそうだったのか?

 想像してみてほしい。もし、あなたの年収が900万円だとして、「1500万円にするから転勤して」とお願いされたらどうするだろうか? 大幅な年収アップ。「もちろん受ける」という人は多いのではないだろうか。しかも、会社のナンバー2が保証され、さらに新規事業に夢中な社長のおかげで好調な現事業の社長になれるかもしれないとしたら……。転勤先は未開拓地だが、将来有望な市場。気心知れた部下もみな引き連れていける――家庭の事情さえなければ、断る理由がない。

 これが、関東移封を示された家康の状況である。