テレビの「画質」だけを追い求めた日本企業の悲劇
私がはじめてこの「テレビを楽しむ」のバリューチェーンを描いたのは、職場での個人的な体験がきっかけです。ロンドンのUBS証券に勤務していた頃、日韓ワールドカップが開催されて、オフィスの個人用パソコンでリアルタイムの試合を観戦したことがありました。
日本では考えられませんが、会社から試合視聴用専用ソフトがオフィスにいる社員全員に配布されたのです。フットボール大国の英国では、そうしないと社員の大半が休暇を取って業務が回らないという事態が起きかねなかったのだと思います。
ただ、試合を観る画面はパソコンですから、10cm四方の小ささで、ボールはかすかにしか認識できませんでした。それでも、ベッカムやジダンの活躍に同僚の外国人たちは熱狂していたのです。
その光景を見た私は複雑な思いを抱きました。小さな画面でフットボールに熱狂する同僚を見て、液晶テレビの解像度を競い続けていた日本の家電メーカーの凋落が頭に浮かんだからです。2002年当時、世界最先端の液晶技術を持つ日本のメーカーの一つが三重県亀山に建設した大工場は、「ものづくりニッポン」の象徴として日本の産業界、マスコミから持て囃されていました。
しかし、フットボールの試合を観たい時に「絶対に高解像度のテレビで観る!」なんて興奮する人はいませんよね。テレビでもパソコンでも映像がちゃんと映ればよくて、目的はフットボール(=コンテンツ)を観ることです。ユーザーにとっては、解像度の高いテレビで鑑賞することより、デバイスや視聴場所は何でもいいのでリアルタイムで観ることのほうが断然、価値が高い場合があるわけです。ハードウェアよりもソフトウェアのほうがはるかに重要なのです。既にユーザーの目的は「画素数の高いテレビ(=ハードウェア)」ではなかったのです。
その後、ますます川上のコンテンツの付加価値が急激に上がっていき、それに反比例するかのように川中にある「ハードウェア」の付加価値は破壊的に損なわれていきました。これは音楽業界など別の産業でも見られる傾向です。コンサートのチケットは瞬間蒸発するのに、同じアーティストのCDは昔のようにミリオンヒットするものは少なくなりました。音楽配信サービスやYouTubeなど、音楽を聴く方法が多様化しCDと専用プレーヤーというハードウェアの価値が薄まるいっぽうで、「アーティストの才能そのもの」という、より川上に存在するコンテンツにライブで接することに付加価値が移っていった結果だと考えます。
このように、より川上のコンテンツ、川下のプラットフォームに付加価値が移転し、川中のハードウェア製造の付加価値が損なわれていく破壊的な濁流にのみ込まれたのが、シャープなのです。
この圧倒的な「スマイルカーブの歪み」を20年前に認識していれば、画素数を高めても生き残れなくなると気がついたはずです。しかし、液晶パネルの生産能力という、同じ川中だけでの優位性を追い求めて巨額を投じた結果、皆さんもご存じの通りシャープは大工場建設の十数年後に経営危機に陥ったのです。
奥野一成(おくの・かずしげ)
農林中金バリューインベストメンツ株式会社 常務取締役兼最高投資責任者(CIO)
京都大学法学部卒、ロンドンビジネススクール・ファイナンス学修士(Master in Finance)修了。1992年日本長期信用銀行入行。長銀証券、UBS証券を経て2003年に農林中央金庫入庫。2007年より「長期厳選投資ファンド」の運用を始める。2014年から現職。日本における長期厳選投資のパイオニアであり、バフェット流の投資を行う数少ないファンドマネージャー。機関投資家向け投資において実績を積んだその運用哲学と手法をもとに個人向けにも「おおぶね」ファンドシリーズを展開している。著書に『ビジネスエリートになるための 投資家の思考法』『ビジネスエリートになるための 教養としての投資』『先生、お金持ちになるにはどうしたらいいですか?』(いずれもダイヤモンド社)など。
投資信託「おおぶね」:https://www.nvic.co.jp/obune-series-lp202208
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