田原総一朗が好きな「幕末の人物」3選、武家政権を開いた源頼朝と終わらせた薩長との共通点とは?Photo by Teppei Hori

戦後日本の「生き字引」ともいえる希代のジャーナリスト・田原総一朗氏。田原氏は滋賀県彦根氏の生まれで、幼少の時、祖母から「お前は大きくなっても政治家やお役人にはなれない」と何度も言われたという。「幕府方の代表格であり、井伊直弼などを輩出した彦根藩は、薩摩藩と長州藩から憎まれている。そのため国から重用されることはなく、政治家や官僚にはなれないだろうというわけだ」。そのことから田原氏は、井伊直弼について調べているうちに幕末という時代に強い関心を抱いたという。今回、田原氏に幕末で「好きな人物」を3人、挙げてもらった。(聞き手・構成/ダイヤモンド社編集委員 長谷川幸光)

田原総一朗が幕末で好きな3人の人物
坂本龍馬、西郷隆盛、あと1人は?

田原総一朗田原総一朗(たはら・そういちろう)
1934年、滋賀県生まれ。1960年に早稲田大学卒業後、岩波映画製作所に入社。1964年、東京12チャンネル(現・テレビ東京)に開局とともに入社。1977年にフリーに。テレビ朝日系「朝まで生テレビ!」等でテレビジャーナリズムの新しい地平を拓く。1998年、戦後の放送ジャーナリスト1人を選ぶ「城戸又一賞」受賞。早稲田大学特命教授を歴任(2017年3月まで)、現在は「大隈塾」塾頭を務める。「朝まで生テレビ!」「激論!クロスファイア」の司会をはじめ、テレビ・ラジオの出演多数。近著に『コミュニケーションは正直が9割』(クロスメディア・パブリッシング)、『新L型経済 コロナ後の日本を立て直す』(冨山和彦氏との共著、KADOKAWA)など。 Photo by Teppei Hori

――田原さんが幕末で好きな人物を3人挙げるとしたら、誰を選びますか?

 まずは坂本龍馬だ。当時、誰もが実現不可能と思っていた薩摩と長州を結びつけ、その後の日本の歴史を大きく変えた。

 薩長同盟成立に奔走し、独自の国家構想「船中八策」を提示するなど新しい世の中の構築に積極的に参画したが、新政府への参加は辞退したといわれている。軍隊、商社、学校などの機能を兼ね備えた海援隊を結成するなどしたが、大政奉還成立の1カ月後に暗殺された。

――坂本龍馬を始め、幕末〜明治維新は多くの若者が活躍しました。大政奉還の年(1867年)、伊藤博文は26歳、高杉晋作は28歳(同年5月に死去)、中岡慎太郎は29歳、坂本龍馬は32歳、土方歳三は32歳、木戸孝允は35歳、大久保利通は37歳、西郷隆盛は38歳、勝海舟は44歳です。なぜ若い人が活躍できたのでしょうか?

 時代というのは、若者が主体的に動くことで大きく変わる。年を取った人間は、幕府の体制や世の中に対して、ある意味、あきらめというか、しょうがないと思ってしまう。今も同じだと思う。年配者は、自民党の政治にいろいろと思うことはあっても、しょうがないと思っている。

 今、一番大きな問題は地球環境の問題で、カーボンニュートラルをどうするか。だけど、これを年配者が何十年先のスパンで考えるということは、そうたやすいことではない。僕なんかはあと数年で終わりだから、そういう人は、考えたいと思う気持ちはあっても、なかなか未来のことを想像できないのだ。

――2人目は誰を挙げますか?

 西郷隆盛。大久保利通と共に近代日本の礎を築いたが、のちに大久保との論争に敗れて薩摩へ帰った。そこで学校を開いたりしたが、生徒や、武士の特権を取り上げられたことなどで不満を持っていた士族たちが反乱を起こすと、西郷はイヤイヤながらもそれに同調し、西南戦争で最期を迎えた。

 西郷たち薩長が幕府をつぶしたが、天皇制は維持した。旧体制はつぶしたのに、自分たちが日本のトップには立たずに、当時、16歳の明治天皇をトップに置いた。このことは非常に興味深い。

 世界中の歴史を見ても、武力で天下を取ると、やはり自分がトップに立つものだ。ヨーロッパでは、支配者階級が握る国家権力を、被支配者階級が奪い取る「革命」が起きているが、日本では「維新」という。

 この理由を調べていると、源頼朝にたどり着く。