ラテン語こそ世界最高の教養である――。東アジアで初めてロタ・ロマーナ(バチカン裁判所)の弁護士になったハン・ドンイル氏による「ラテン語の授業」が注目を集めている。同氏による世界的ベストセラー『教養としての「ラテン語の授業」――古代ローマに学ぶリベラルアーツの源流』(ハン・ドンイル著、本村凌二監訳、岡崎暢子訳)は、ラテン語という古い言葉を通して、歴史、哲学、宗教、文化、芸術、経済のルーツを解き明かしている。韓国では100刷を超えるロングセラーとなっており、「世界を見る視野が広くなった」「思考がより深くなった」と絶賛の声が集まっている。本稿では、本書より内容の一部を特別に公開する。
ラテン語を勉強すると、なぜ頭が良くなるのか?
「まだ間に合います。受講をキャンセルするなら今のうちですよ」
ラテン語の授業初日、学生たちに必ずこう伝えています。事実、ラテン語は学びにくい言語です。おまけに現在使われてもいない言語でもあります。
にもかかわらず、ラテン語は、今日でも私たちの日常の至るところで遭遇する言語でもあります。ユビキタス、ビジョン、アウディ、アクア、ステラなどは、いずれもラテン語またはラテン語由来の言葉です。大学や企業が掲げるモットーにもラテン語をよく目にします。
これはおそらく、ラテン語で述べられた(語られた)ものは何でも高尚に見える〈Quidquid Latine dictum sit altum videtur〉というイメージからでしょう。しかし、万人がそう思うわけではありません。例えばこんな名句があります。
Non tam praeclarum est scire Latine quam turpe nescire.
ノン・タム・プレクラルム・エスト・スィレ・ラティネ・クァム・トゥルペ・ネスィレ
(純粋なラテン語ができることが素晴らしいというよりは、できないことがみっともないのである)
※発音はローマ式発音(スコラ発音)を基準にしています。
これは古代ローマの政治家・著述家キケロ(Marcus Tullius Cicero、B.C.106~B.C.43)の言葉です。洗練されたラテン語を操れなかった弁論家アントニウスに対して述べたキケロの言葉からうかがい知れるのは、ローマ帝国で、公用語であったラテン語を正しく操れない人への偏見がすでにあったという事実です。
これは当時、ローマ帝国の拡大により、多くの人がラテン語を使わざるを得ない状況にあったにもかかわらず、ラテン語の識字率は低かった、つまりラテン語が定着しなかったという話です。人々はローマ帝国の公用語であるラテン語をなぜ習得できなかったのでしょうか。
ラテン語は文法が非常に複雑な言語です。命令法や動名詞などを省いた大体の能動態だけでも、ざっと60パターンはあります。能動態の語尾変化はもちろん、受動態の語尾変化はもっと複雑です。そのせいで人々は恐れをなし、具体的な手応えを感じる前に早々にさじを投げてしまうのです。
ですが、この峠を越えて複雑な文法体系を身につければ、間違いなく勉強に対する免疫力がつきます。難しいとされる問題に直面したって大した苦労に感じられません。
不思議だと思いませんか? 長く学んでみるとわかりますが、ラテン語の勉強とは、平凡な頭脳を勉強に適した頭脳へと活性化させ、思考体系を広げてくれるのです。
レオナルド・ダ・ヴィンチもラテン語を猛勉強した
今日、天才と称されているレオナルド・ダ・ヴィンチも、生まれつき天才だったのではありません。彼は30代にしてようやく独学でラテン語の勉強を始めました。イタリア語に翻訳されていない文学や哲学書、歴史書、古典を読むためでした。彼は人文学をラテン語で読むことで自分の脳を変えようとしたのです。
ダ・ヴィンチは天才たちの思考にはついていけず苦労を強いられましたが、腐ることなくラテン語での勉強を続けることで、埋もれていた自身の才能を開花させたのです。
ラテン語は非常に数学的な言語です。動詞ひとつの変化が160以上に達します。名詞ひとつ見ても、呼格を除いて単数・複数がそれぞれ1格から5格まで5つに変化します。名詞を飾る形容詞の形も、名詞の性・数・格に一致させなければなりません。
実に組織的かつ体系的でしょう? ゆえに、ラテン語を体得していく過程で、暗記力や勉強に対する自分なりのアプローチがおのずと備わっていくのです。
脳内に思考の本棚があると考えれば、どの棚にどの本を立てればいいのかといった規則性やシステムができあがるようなものです。これこそがラテン語学習の醍醐味であり、ラテン語で書かれたものが高尚に感じられるもうひとつの理由です。
(本原稿は、ハン・ドンイル著『教養としての「ラテン語の授業」――古代ローマに学ぶリベラルアーツの源流』を編集・抜粋したものです)
※記事初出時より、以下の部分を修正しました。Latineの読み仮名「ラティウム」を「ラティネ」に修正(2022年10月25日22:00、ダイヤモンド社書籍編集局)
【編集部からのお知らせ】
『教養としての「ラテン語の授業」』とは?
本書は、東アジアで初めてロタ・ロマーナ(バチカン裁判所)の弁護士となったハン・ドンイル氏が行った「ラテン語の授業」を整理したものだ。
彼の授業は、単なる語学の授業ではなく、総合人文科学の授業に近い。西洋文明の源流ともいえるラテン語を通して、歴史、哲学、宗教、文化、芸術、経済など多くのことを学べる。
監訳を担当した東京大学名誉教授である本村凌二氏も「ヨーロッパ各国の歴史、文化、法律に焦点を当て、ラテン語を通して見える世界の面白さを幅広くとり上げている」とコメントしている。
読売新聞読書委員、東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授などを歴任した若松英輔氏も「言葉はレンズである。古い言葉を通して世界を眺めるとき、古びることのない叡知がよみがえる」と絶賛している。
本書目次より
日本語版刊行に寄せて──叡知の貯蔵庫としてのラテン語
Lectio I 胸に秘めた偉大なる幼稚さ
――Magna puerilitas quae est in me
・ラテン語はなぜ難しいのか?
・レオナルド・ダ・ヴィンチがラテン語を猛勉強した理由
・「偉大なる幼稚さ」を大切に
Lectio II 最初の授業は休講します
――Prima schola alba est
・学問とは「人間と世界を見つめる枠組み」を作る作業
・ローマ人のシンプルな教育制度
・あなたの心の陽炎を見つめてください
Lectio III ラテン語の品格
――De Elegantiis Linguae Latinae
・「否定」の概念は“夜に流れる水”から生まれた
・ラテン語はインド・ヨーロッパ語族に属している
・古代の人々は「母」という概念をどう考えたか?
・ピタゴラスはインドの思想に影響を受けていた
Lectio IV 私たちは学校のためではなく、人生のために学ぶ
――Non scholae sed vitae discimus
・赤ちゃんに学ぶ「言語学習の本質」
・ラテン語の発音からヨーロッパ社会を学ぶ
・発音からすけて見える「ヨーロッパ人のプライド」
Lectio V 長所と短所
――Defectus et Meritum
・長所と短所の「語源」から見えてくるもの
・自分の短所と目をそらさずに向き合う
・ラテン語の名句に学ぶ「捨てる勇気」
Lectio VI ひとりひとりの“スムマ・クム・ラウデ”
――Summa cum laude pro se quisque
・奥深いラテン語の名詞
・真の教育とは、勉強したくなる動機を与えること
・ラファエロの絵画と神秘主義
Lectio VII 私は勉強する労働者です
――Ego sum operarius studens
・ラテン語「エゴego」の役割
・習慣の語源が教えてくれること
・「勉強する労働者」は挫折を楽しむ
Lectio VIII カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい
―― Quae sunt Caesaris Caesari et quae sunt Dei Deo
・イエスの使徒パウロとローマのかかわり
・キリスト教がここまで普及した理由
・キリスト教における「政治と宗教の分離」
Lectio IX たとえ神がいなくとも
――Etsi Deus non daretur
・法学者グローティウスの主張
・聖書は弟子たちによる“授業ノート”か
・人が哲学や倫理を求めた理由
Lectio X 与えよ、さらば与えられん
――Do ut des
・「あなたが私に施したから、私もあなたに与えよう」
・「相互主義」という国際ルールの起源
・人生は、他者を思いやることで完成する
Lectio XI 時間は最も優れた裁判官である
――Tempus est optimus iudex
・時間にまつわるさまざまな言葉
・長い時間をかけて辞典を作り、悟ったこと
・古代ローマ人は「幸せ」をどう考えたか?
Lectio XII すべての動物は性交後にゆううつになる
――Post coitum omne animal triste est
・絶望の日々をどう乗り越えたか
・ラテン語の名句を英単語と照らし合わせる
・「期待した瞬間」が過ぎさると、人間は絶望する
Lectio XIII あなたが元気なら、よかったです。私は元気です
――Si vales, bene est; ego valeo
・古代ローマ人のあいさつ
・郵便は軍事目的でも使用されていた
・「あなたが安らかであってこそ、私も安心できる」
Lectio XIV 今日は私へ、明日はあなたへ
――Hodie mihi, Cras tibi
・死をくぐり抜けた人間は、どんな香りを放つのか?
・古代ローマの葬儀
・人間は、他者に残された記憶によって香りを放つ
Lectio XV 今日を楽しみなさい
――Carpe diem
・名句Carpe diemは農業に由来する言葉
・今日を我慢し、節制するのは美徳なのか?
・ローマ人たちも「過去」に縛られていた
Lectio XVI ローマ人の悪口
――Improperia Romanorum
・ラテン語の「洗練された悪口」
・「神聖な」「呪われた」という2つの意味が混在する言葉
・「心の言葉」に耳を澄ませよう
Lectio XVII ローマ人の年齢
――Aetates Romanorum
・ヨーロッパ言語が「水平型言語」である理由
・イタリア人に受け継がれた「寛大な精神」
・学びとは、自分だけの歩き方を学ぶこと
Lectio XVIII ローマ人の食事
――Cibi Romanorum
・「私を上に引っ張り上げる」ティラミス
・古代ローマ人の一日の食事
・宴がわかれば、ローマの文化がわかる
・同性愛を禁止した合理的な理由
Lectio XIX ローマ人の遊び
――Ludi Romanorum
・ローマ時代のさまざまなゲーム
・セネカが軽蔑した「円形闘技場の熱狂」
・高度な技術力に支えられた公共浴場
Lectio XX 物事は、知っているものしか見えない
――Tantum videmus quantum scimus
・ムッソリーニが標榜した「偉大なイタリア」
・カエサルが暗殺された場所
・自分が知っているものしか目に入らない
Lectio XXI 私は欲望する。ゆえに存在する。
――Desidero ergo sum
・スピノザとデカルトの違い
・満足とは「十分に何かをする」こと
・人間が作り出した最高の仮想が、人間を苦しめている
Lectio XXII 韓国人ですか?
――Coreanus esne?
・「国」という概念はいつから生まれたか?
・「天才教授の怒り」忘れられないエピソード
・「私たちはみな同じ人間」という真実
Lectio XXIII しかし、今日も明日も、またその次の日も、私は進んで行かねばならない
――Verumtamen oportet me hodie et cras et sequenti die ambulare
・sex の由来は数字の「6」だった
・単語ひとつに思想が反映される
・勉強の由来は「心から望む何かに力を注ぐこと」
Lectio XXIV 真理に服従せよ
――Obedire Veritati!
・世界の問題を「世俗の学問」の力で解決する
・ボローニャ大学の果たした役割
・真理を解くカギは「宗教」にある
Lectio XXV みな傷つけられ、最後は殺される
――Vulnerant omnes, ultima necat
・古代ローマでどのように医学が発展していったか?
・心と体を傷つけるのは、他者ではなく、自分自身
Lectio XXVI 愛しなさい、そしてあなたが望むことを行いなさい
――Dilige et fac quod vis
・砂漠とは、神への信仰が深まる場所
・タクラマカン砂漠の洗礼
Lectio XXVII これもまた過ぎゆく
――Hoc quoque transibit
・今日できることは明日に延ばそう
・「朝、自分に微笑みかける」という課題の真意
・うれしいことをしっかり嚙みしめる
Lectio XXVIII 命ある限り、希望はある
――Dum vita est, spes est
・今の人生を送るか? 完璧な世界で新たな人生を送るか?
・希望の語源は「期待して望む」
・死と直面して悟ったこと
・感謝の言葉
・監訳者あとがき