写真:記者に囲まれ、質問に答える稲盛和夫氏記者に囲まれ、質問に答える稲盛和夫氏(中央)(2010年1月撮影) Photo:JIJI

不正を忌み嫌った「経営の神様」稲盛和夫氏も、自身の社長時代に京セラで違法販売の不祥事が発覚し、今で言う「大炎上」を経験した。自殺を考えるほど追い込まれた稲盛氏だったが、そこからの反省と立ち直り方も凡人離れしていた。その経緯を追いかけてみたい。(イトモス研究所所長 小倉健一)

経営の神様・稲盛和夫氏にも
不祥事で「大炎上」した過去がある

 経営の指針であるフィロソフィ(経営哲学)に「利他の心」を掲げ、不正や腐敗を忌み嫌う経営の神様・稲盛和夫氏。しかし、自らが創業した京セラの経営を振り返ってみると、過ちを犯し、今で言う「大炎上」をした過去も持っている。

 その暗い過去は、京セラのホームページの「沿革」に記載はされず、また「稲盛和夫OFFICAL SITE」にも触れられていない。いったい稲盛氏に何が起き、そしてどう立ち直ったのかを振り返っていこう。

 稲盛氏と言えば、不正を絶対に許さない姿勢で知られている。過去には、2017年ごろに起きた神戸製鋼所や東レ、日産自動車などでの品質不正問題についてインタビューを受け、次のように答えている。

「本来は経営者も社員も、『人間として何が正しいのか』を判断基準に行動すべきです。会社のルールや仕組みがあるからということではなくて、『人間として何が正しいか』ということをみんなに問い掛けて、みんながそれに気付いて仕事をすれば、こうした不正はそもそも起きないのではないでしょうか」(「日経ビジネス」18年1月8日号)

 また、稲盛氏が主宰していた経営塾「盛和塾」の会員で、ブックオフの創業者である坂本孝氏にまつわるエピソードもある。07年、坂本氏が「不正なリベートを受け取っていた」として「週刊文春」に告発を受けた際には、稲盛氏は坂本氏を自身の元へ呼びつけた。

「それは『出頭命令』と言ってもよいほど有無を言わさぬものだった」と、坂本氏は振り返る(ダイヤモンド・オンライン『「文春砲」に撃たれた坂本孝が、稲盛和夫に叱られた恐怖と感謝の45分』)。

 そのときの緊迫した状況を「日経ビジネス」(17年8月7日号)は次のように伝えている。

「稲盛の怒りは想像以上だった。坂本は、東京駅に近い京セラの事務所の応接室に呼び出された。稲盛は両手で机をバンバンたたきながら、怒鳴り散らす。『あのまま、もうちょっと続いたら、飛び降りていたかもしれない』。坂本は今でも、その光景を思い出すと背筋が凍る」

 想像するだけでも、恐ろしい怒りが伝わってくる。今で言う「文春砲」に打たれた坂本氏側には言い分があった。報道で指摘された取引先からのリベートは違法なものではなかったからだ(後に弁護士らによって行われた社内調査でもそう認められている)。しかし、稲盛氏には「言い訳するな」と一喝されたのだという。

 稲盛氏にとって不正とは、人間としての傲慢さが生み出す、絶対許してはいけない悪なのだ。

 そんな稲盛氏も、不正と無縁だったわけではない。「事件」が起きたのは、1985年。KDDIの前身企業の一つである第二電電を創業したばかりの、最悪のタイミングだった。

 稲盛氏が自殺まで考えた「大炎上」の実態とは何か。そして、経営の神様はそこからどのように立ち直ったのか。稲盛氏の非凡な才が垣間見えるその経緯をお伝えする。