そこで池上を経由して大森と目黒(後に蒲田と五反田に変更)を結ぶことで、参詣客を中心とした近郊の旅客輸送を行う構想が浮上し、1917年に設立されたのが池上電気鉄道だった。ところが資金が思うように集まらず、着工できないまま5年近くが経過してしまった。このままでは免許が取り消されて会社は消滅してしまう。

詐欺師同然の人物が
株を買い占めて社長に就任

 ここで登場するのが高柳淳之助なる怪しい人物である。彼は茨城県に農家の次男として生まれ、小学校教員を7年務めた後、通信教育教材の販売で成功し独立する。その後、「金をふやす法 致富秘訣」「地方必適金もうけ案内」「少額資本実業成功法」など投資や貯蓄をテーマにした著作をヒットさせた。現代でいう情報商材である。

 これが実践的な内容であれば名投資アドバイザーなのだが、高柳の場合は東京の情報に疎い地方の資産家を狙い、言葉巧みに自分の経営する会社に金を出させる詐欺師同然の人物であった。

 集めた資金は鉄道株の買収に投じられた。タダ同然に暴落していた池上電気鉄道株式を買い占め、1922年4月に社長に就任。「池上電気鉄道は前途有望な鉄道会社」「これより有利確実なものは他にない」「借金してでも買っておくべきだ」と宣伝して回り、自ら設立したトンネル会社を通じて地方の零細投資家から資金を調達した。形だけでも鉄道を開通させ、近隣の鉄道会社に高値で買い取ってもらおうというのが彼の狙いだった。

 社長就任からわずか半年、同年のお会式に間に合うよう突貫工事で蒲田~池上間1.8キロを開通させた。彼が後年語ったところによると、蒲田駅周辺で立ち退きを拒否する居酒屋を買収するために、不動産ブローカーを装って居酒屋で酒を飲み「安く売っちゃダメだよ。オレに任せろ、オレに。一番高く売ってやる」と接近し、白紙委任状を書かせて立ち退かせたというから天性の詐欺師である。

 こうしてあの手この手で無理やり開業させた池上線は単線、車両は中古で調達した2両のみ、しかもそのうち1両は蒲田駅の待合室代わりに使うという形ばかりの鉄道会社だったが、それでも開業直後のお会式では多くの人が利用した。だが、ハリボテがいつまでも持つはずがない。都心から遠い蒲田側から建設したことで利用者は伸びず、高柳が詐取した資金で経営は成り立っていた。

 それでも1923年に池上から雪が谷大塚まで延伸し、次いでターミナルを目黒から五反田に変更して着工準備を進めるなど、経営に対する意欲がなかったわけではないようだが、ついに彼の悪事は露呈。1925年9月、詐欺・横領などの疑いで検挙され社長を辞任した。