『古今和歌集』の詩も…菓子そのもの以外でも並々ならぬこだわり

 先月、上海で不動産仲介業をやっている弟が久しぶりに東京にやってきた。手土産に源吉兆庵の旬のお菓子「花熟柿(はなじゅくし)」を持ってきてくれた。これは円熟した柿果肉をまるごと使ったゼリーだ。柿関連のお菓子は私の好物だ。販売期間は9月上旬~10月中旬という短さで、この季節ならではのプレゼントだ。干し柿をまるごと一つ使用して作られた「粋甘粛(すいかんしゅく)」も大好きだ。

 古くは「菓子」といえば「果子」のことを言い、果物や木の実などを指していた。源吉兆庵の「自然シリーズ」のお菓子がまさに果実の旬をビジネスの絶好のタイミングとして捉え、自然が育てた果実の姿・形・味わいをそのまま生かして、四季折々の和菓子に仕立てている。

 日本には柿を食材にした美しくておいしいお菓子が数え切れないほどあるが、なかでも、源吉兆庵の商品に対しては格別の愛着を持っている。同社の食材・味・色彩・季節感に対する並々ならぬこだわりは、秋の季節感を出す紅葉と薄墨で書かれている和歌の草書がデザインされた包装紙にも表れている。

 弟が持ってきた菓子折りには、「秋の野の草のたもとか花すすき 穂にいでてまねく袖と見ゆらむ」と書かれていた。

「まわりにある花ススキは秋の野のたもとだろうか。風に揺れるその穂はまるで私を呼び誘う美女の袖のようだよ」という意味だ。

『古今和歌集』に収録されているこの歌は、平安時代前期の貴族・歌人、中古三十六歌仙の一人として知られる在原棟梁の手によるものだ。恋歌仕立ての作品だが、作者の季節感が自然ににじみ出てくる名作で、包装紙のデザインによって表現された美しいイメージの世界に酔いしれてしまう。

夏ののし紙に描かれた和歌で思い出したこと

 季節が違うと、源吉兆庵が使う包装紙も変わる。そこに書かれている詩や和歌も違ってくる。

 たとえば、夏用ののし紙には、その季節に合う草花(カエデの青い葉)と『万葉集』に出ている和歌が添えられていた。

「大滝を 過ぎて夏身に近づきて 清き川瀬を 見るが清けさ」

 作者は兵部川原。和歌の意味は、「大滝を過ぎて、ここ菜摘(なつみ)に近寄って清い川瀬を見るとすがすがしい気分だ」という。夏の贈答品の包装紙にぴったりの和歌だ。ちなみに、その和歌の原文は「大瀧乎 過而夏箕尓 傍為而 浄川瀬 見何明沙」となっている。

 三十数年前、上海外国語大学で日本語と日本文学を教えていた私は、京都外国語大学で1年間研修する機会を得た。当時、研修を終えて中国の大学に戻ったら、いずれは日本の古典文学も教えなければならないだろうと思い、『万葉集』や『古今和歌集』の独学を始めた。底冷えの京都で難しい日本の古語と悪戦苦闘した、あの日々は孤独で苦痛だった。それも後に日本に永住しようと決めたとき、教師職を求めず、ジャーナリストへ転身した動機の一つにもなった。

 源吉兆庵の包装紙は、孤独で日常離れした日本語研修の日々と、そのときにうろ覚えした知識を、懐かしく、美しく、しかもおいしく、思い出させてくれたのだ。