令和日本で精神論に走るワケ

 さて、こういう歴史の教訓を踏まえて、「日本のゴミ拾いは世界一」報道が盛り上がる令和日本の現状を冷静に見ていきたい。

 経済に関しては「失われた30年」と揶揄されるほど停滞している。賃金もこの30年ほとんど上がっておらず、平均給与ではついにお隣の韓国にまで抜かれた。労働生産性や1人あたりのGDPで抜かれるのも時間の問題だ。

 国力の礎になる人口は急速に減少しており、出生率の低下は危機的状況だと政府も認めている。かと言って、移民を受け入れることは無理なので、社会保障制度は遅かれ早かれ破綻していく。そこは日本の技術力で解決だ、という勇ましい声も虚しく、かつて日本経済を支えた半導体や白物家電は続々と新興国に抜かれている。最近は、お家芸なんて言われたアニメまで、中国に人材を引き抜かれてつくられるようになってきた。

 ひいき目に見たとしても、「危機的状況」なのだ。

 そんなタイミングで、「日本のゴミ拾いに世界が感動!」「我々が見習うべきは日本人だと各国が称賛」という、やたらと精神論をもてはやすムードが強まっている。これまでのパターンでいけば、「そろそろ日本もヤバくなってきた」と感じるのは当然だろう。

「そんなのは貴様の妄想に過ぎない」と冷笑する人も多いだろうが、日本人が危機的状況になればなるほど、精神論にすがるというのは、さまざまデータが示唆している。

 例えば、NHKが1973年から5年ごとに実施している「日本人の意識」という調査がある。その中で、「日本人は、他の国民に比べて、きわめて優れた素質をもっている」というナショナリズムを測る質問がある。

 この質問、1973年に60%、83年には71%とピークに達してから98年、03年の51%まで下降する。この日本人の「20%の自信喪失」をNHK世論調査部では、こう分析している。

<70年代から80年代初めにかけて日本への自信が高まった時期は、日本の経済力や技術力などが注目された時期と重なる。しかし、80年代半ば以降はアメリカとの貿易摩擦、90年代に入るとバブル経済の崩壊、95年には阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件が相次いで発生し、日本に対する人びとの自信も減少していった>(45年で日本人はどう変わったか(2) 〜第10回「日本人の意識」調査から〜)

 ただ、この理屈が当てはまるのならば、03年からも自信は減少していくはずだ。先ほども申し上げたように経済的にも国力的も衰退期に入るからだ。非正規雇用は右肩あがりで、相対的貧困率が上がった。09年にはリーマンショックで自殺者も増えている。世界幸福度ランキングでも年を追うごとに順位が下がっている。

 こういう状況を踏まえればさらに03年から現在までで10%くらいは「自信喪失」をしていてもおかしくはない。しかし、現実はまったく逆で、このような苦境になればなるほど、日本人は「自信」を深めているのだ。