規則過多でないと「モラル」が発達する?

 今回のアメリカ滞在中、印象的なことがありました。車を運転していて、横断歩道でないところで人が道を渡ろうとしていた時、止まらずにそのまま通過してしまったところ、うしろにいた車からクラクションで注意されてしまったのです。

 アメリカでは信号がない横断歩道で、人が道路を横断していれば必ず優先し、車が止まります。一方、日本では人が待っていても横断歩道で止まるクルマなど、ほとんど見ません。

 もちろん、広大で人口密度が低いアメリカと日本の交通事情の違いはあると思いますが、車を運転している人の、人に対する思いやりは、アメリカのほうがはるかにすばらしいと思いました。

 ちなみに中国の天津にある大学へ講義に行った際、横断歩道を人が渡っていても、中国の車は止まらないので、真正面を見て、一定のスピードで横断歩道を渡れ、と教わりました。そうすれば、車が避けながら間を通過してくれるそうです。もう、二十数年前のお話ですが。

 ルールでがんじがらめにされていると、ルールさえ守ればいいとなりがちです。一方、自己責任に任せていると、ルールの代わりにモラルが発達するのかもしれません。

 何でも規則で縛り付ける日本。先日、公務員が休み時間中にアイスクリームを食べていたところ、「サボっている」と市民から通報があったというニュースがありました。これはまさに、規則でがんじがらめにしようとすることの弊害のように思います。

 私が借りたアパート群では、住人である警察官がときどきパトカーで家に帰ってきていました。それについて誰も何も言いません。消防署で署員がリラックスして夕涼みしているのを見たこともあります。日本はなんとも世知辛い国になってしまったと思わざるを得ません。