森林は「インターネット」であり、菌類がつくる「巨大な脳」だった──。樹木たちの「会話」を可能にする「地中の菌類ネットワーク」の存在を解明した『マザーツリー 森に隠された「知性」をめぐる冒険』の日本版がいよいよ発売される。刊行直後から世界中で大きな話題を呼び、早くも映画化も決定している同書だが、日本国内でも養老孟司氏(解剖学者)や隈研吾氏(建築家)、斎藤幸平氏(哲学者)など、第一人者からこの本を推薦する声が集まっている。日本版『マザーツリー』の発刊を記念して、今回は訳者・三木直子さんによる「あとがき」を特別に公開する。
映画『アバター』の原案にもなった生態学的発見
『マザーツリー 森に隠された「知性」をめぐる冒険』のオリジナル版 Finding the Mother Tree: Uncovering the Wisdom and Intelligence of the Forest の翻訳のオファーをいただいて、お引き受けする前のこと。
木は互いにつながり合って会話している、と聞いても、私はとくに驚かなかった。
そんなようなことが書いてある本は前にも読んだ気がしたし、映画『アバター』に出てきた「魂の木」ってそんな感じじゃなかったっけ……と思ったら、その魂の木のコンセプトが、本書の著者スザンヌ・シマードの研究をもとにしたものであることを知って、むしろそのことにびっくりした。
スザンヌ・シマードは、人々の森を見る目を変えたと言われるカナダの森林生態学者であり、この分野では世界的に名高いブリティッシュコロンビア大学の教授として教鞭をとっている。
木と木が菌根菌のネットワークでつながりあい、互いを認識し、栄養を送り合っていることを科学的に証明してみせた彼女の研究は、森林生態学に多大な貢献をし、その論文はほかの研究者たちによって数千回も引用されている。TEDトークの再生数は530万回を超える(いずれもこの文章の執筆時点)。
翻訳をお引き受けしたあと、原書が手元に届いてみると、推薦の言葉のなかに、私が以前その著書を翻訳したことのある2人の女性の名前があった。『植物と叡智の守り人』のロビン・ウォール・キマラーと、『英国貴族、領地を野生に戻す』のイザベラ・トゥリー。アメリカ、イギリス、カナダと、国は違えど、3人に共通するのは「自然の言葉に耳を傾け、その叡智を受け入れる」という姿勢だ。
キマラーとトゥリーによる本書への賛辞は、私がこの本を訳すことの必然性を裏づけてくれたようでうれしかった。
美しい森と共生する人たち
アメリカ・ワシントン州シアトルのダウンタウンから小1時間北上し、15分ほどフェリーに揺られてピュージェット・サウンドを渡ったところに、ウィッドビー・アイランドという南北に細長い島がある。
私は2003年から毎年、ここで夏を過ごしている。北端から車でさらに北に1時間も走ればカナダとの国境に着く、アメリカ最北西部に位置するこの島は、本書の舞台であるカナダのブリティッシュコロンビア州とよく似た植物相を持ち、緑豊かな常緑樹の温帯雨林に覆われている。かつては林業で栄えた島でもある。
私の仕事場にある窓の正面には、大きなダグラスファーとウエスタンレッドシーダーが並んで聳え立っている。私はまた、シマードが住んでいたネルソンという町(本書にも登場する)をずいぶん昔に訪れたことがあるし、クーテネイ国立公園にも行ったことがある。だから、本書に描かれる自然の情景はありありと目に浮かぶ。
私自身は生まれも育ちも東京で、大都会のコンクリートジャングルのなかでのマンション暮らしが長かった。だが、ウィッドビー・アイランドで時間を過ごすようになってからは、以前よりも木や森が身近なものになった。
この島に長く暮らしている友人たちは、木の種類や名前をじつによく知っている。森に囲まれて住んでいる人が多いので、嵐で木が倒れればチェーンソーで切断して、冬にストーブで焚く薪にする。野生のブラックベリーやハックルベリーを摘んでパイを焼き、ジャムをつくる。庭にはリスもシカもフクロウもやってくる。
「すべてはつながりあっている」
──あまりにシンプルで、あまりにたしかな真理
そういう私のもとにこの本がやって来た。
そう聞くと、多くの日本人はきっと「ご縁があったんですね」と言うと思う。ご縁──。仏教の「縁起」という概念に由来するこの言葉は、物事とはすべてがつながって成り立つものだ、という考えの上にある。
一つの事象が別の事象に影響を与え、それが連鎖して世界全体に変化を生む──。それは昔から多くの先住民族のあいだで知恵として伝わってきた考え方であり、私たち日本人もまたそのことを、哲学や宗教のようなものとしてではなく、日常のなかのあたり前のこととして受け入れているのではないだろうか。
シマードと私はほぼ同年代である。同じ時代に生まれながら、片や大自然、片や大都会のただなかでの対照的な子ども時代を過ごし、その後も似ても似つかぬ人生を生きてきた私たちを、この本がつないでくれた。
ご縁。すべてがつながっているということ。
この本を訳す機会が私に与えられた、その事実が、そのことを象徴しているように思う。そして、シマードが実験によって証明してみせた、菌根菌を通じた木と木のつながりは、その大きな大きな「縁」の顕現の一つなのだ。
「つながり」を大切にしたくなる、
樹木と菌類の感動ストーリー
島にいるときは森のなかを散歩することも多いが、本書の翻訳を始めてからは、前よりもいっそうその時間が長くなった。木々の名前を携帯のアプリで確認しながらそぞろ歩くのが楽しい。
一度はすべての木が伐採されてしまったこの島には、原生林はない。樹齢100年を超える木もおそらくほとんどないだろう。
それでも、背の高い木の周りに若くて小さな木が生えているのを見ると、「母娘だろうか?」と考える。
そして、複雑に混ざり合うさまざまな植物を見ながら、私の目には混沌としているように見える森の根底に潜む、自然の秩序と仕組みを解明してみせた著者の偉大さを、あらためて感じずにはいられない。
木が互いに会話していることをハリウッド映画から教わってすんなり信じた私とは違い、著者はそのことを、森が語る言葉に耳を傾けるなかで自ら発見した。実験のために森に何百本もの木を植え、長い時間をかけて観察し、失敗しても辛抱強く繰り返す──それは、私には想像もつかないような過酷な作業であったに違いない。
同時に本書には、一人の女性として生きていくうえで体験するさまざまな試練や苦悩を、森から学んだことと重ね合わせながら乗り越えていくさまが赤裸々に綴られ、思わず深く感情移入してしまう部分が随所にある。森林生態学の観点からだけでなく、回想録としても非常に読み応えのある本に仕上がっている。
著者の人生を描いた「映画化」も決定!
本書の原著がアメリカで刊行されたのは2021年5月。当初、もっと早い刊行が予定されていたが、2020年11月の米大統領選挙前後にマスコミや消費者の注目がそちらに集まるであろうことを鑑みて、刊行を遅らせたと聞く。出版元が本書を高く評価し、大切にしている証だろう。
刊行とほぼ同時に映画化も決定している。映画化権を獲得したのは、女優でフィルムメーカーのエイミー・アダムスとジェイク・ギレンホールだ。
詳細はまだ公表されていないが、おそらくはエイミー・アダムスがスザンヌを演じるのだろう。母なる木の存在を科学的に証明してみせた超一流の森林学者であると同時に、妻として、母として、乳がんサバイバーとして、常人には真似のできない稀有な人生を生きる勇敢な女性を、彼女がどう演じてみせてくれるのか。
映画の公開を私はいまから心待ちにしている。
(本原稿は、スザンヌ・シマード著『マザーツリー』〈三木直子訳〉からの抜粋です)