くだんのメスキートCCは、米西海岸カリフォルニア州南部リバーサイド郡のパームスプリングスにあった。ロサンゼルスから東に向かっておよそ180キロメートルに位置する。もとは標高3554メートルあるサンジャシント山脈の麓に広がる砂漠だった。その一帯が開発され、ゴルフ場をはじめ、乗馬やハイキングのコース、プールやテニスコートといった施設ができあがった。今も米国人に人気の温暖なリゾート地だ。
ゴルフ場取引の裏の魂胆
メスキートCCへの投資計画は、既存のゴルフ場の買収ではなく、米デベロッパーの地主から土地を買い取ってアイチグループで開発するという提案だった。森下はもとより、ゴルフ場担当の義兄佐藤もまた、米国人向けにリゾート会員権を売り出せば、投資額の3億円など簡単に取り戻せる、とそろばんを弾く。そうして佐藤がメスキートCCの計画地の地主と会い、買収交渉に入った。
ただし、そこには厄介な問題も潜んでいた。ゴルフ場用地に米国開拓時代の先住民の居住区域が含まれている。そこを買い取ることはできない。そのため先住民族であるネイティブ・アメリカンの団体と交渉し、賃料を支払い、ゴルフ場を開発するという方法を選んだ。生前の森下に米国のゴルフ場のことを尋ねたが、あまりいい思い出はなかったようだ。
「向こうの地主はパームスプリングスの不動産業で成功した名士でした。最初はとても親切にしてくれてね、こっちにアメリカ人の弁護士までつけてくれたんだよ。われわれも一応、日本から国際弁護士を連れて行ったけど、何も事情がわからないからね。それで、現地法人を立ち上げたんだ」
森下はメスキートCCの現地法人を「モーリー・カリフォルニア」と名付け、佐藤が社長に就いた。社名のモーリーは森下の森を英語風にもじっただけの単純な由来だった。もとの地主を通じ、モーリー・カリフォルニアの名義で先住民族居住区域の使用許可をとってもらい、そこはなんとかクリアしたという。が、そこからが問題だった。森下が言った。
「日本では土地代を含めて1ホールあたり1億だった開発費が、100分の1もしないという。だからこっちは喜んだけれど、裏があったんだ。ゴルフ場ができかけた頃、ようやく向こうの本当の狙いが、わかったんだけどね。案の定、アメリカのゴルフ場はうまくいきませんでした。(3億円は)いい授業料になりましたよ」
森下は、欧米でゴルフ場開発する場合の根本的な問題に突きあたった。日本と米国では、ゴルフ場のメンバーシップや会員権の考え方がまるで異なるのである。
日本のゴルフ場オーナーにとって会員権の発行は、紙幣を印刷するような感覚でしかない。上総GCで森下は100億円あまりの預託金を集めた。一方で、ゴルフ場の開発費はせいぜい20億円で済み、残り80億円は他の投資にまわせた。そうして潤沢な資金を得てきた。