「ファーストペンギン」とは、勇敢なベンチャー精神を持って行動する個人や企業に対して、敬意を表した言葉である。山口県の漁港で新規事業「粋粋ボックス」を起こした坪内知佳さんもまた、そう呼ばれる人物の一人だ。この新事業は、漁師たちが獲った魚を、市場を通さずに独自の保冷方法で消費者へ届けるというもの。当初はまったくの素人だった女性が漁業の世界へ飛び込み、地元の漁師たちを束ね、新たな風を巻き起こしていく。「次代を創る100人」にも選ばれた坪内さんが、漁業の未来へ馳せる思いとは。
本稿は、坪内知佳『ファーストペンギン シングルマザーと漁師たちが挑んだ船団丸の奇跡』(講談社)の一部を抜粋・編集したものです。
坪内さんが変革をもたらした地元漁業のルールとは
知っている人も多いと思うが、職業として漁をするためには漁協や漁連(漁業協同組合連合会)から許可を得る決まりになっている。これは全国どこでも共通だが、それと併せて県ごとの規制やルールがあり、萩大島のある山口県には他にはない独特のローカルルールがあった。
それは、一隻の漁船につき一漁期に一つの漁法しかできないというルールである。本州の西の端にある山口県は広いエリアが海に接している。しかも、流れの激しい日本海と、穏やかな瀬戸内海という2つの異なる性格の海に接しているため、好漁場にも恵まれている。それゆえに古くから漁業が盛んで漁の許可を取っている漁船も多い。漁師間の争いを少しでも減らすことを目的に定められたのが、一漁船一漁法という特殊なルールだった。
「なんで延縄漁に出んの? 天気が悪くて巻き網漁ができないなら、一本釣りに出ればええやん」
不思議に思って長岡(地元の漁師 ※編集部注)に尋ねてみたが、「そういう決まりなんじゃ」の一言で終わりだった。
漁獲高が圧倒的に今より多かったころなら、こうした互助会的ルールにもメリットはあったかもしれないが、今や漁業者は減る一方で存続の危機に瀕しているのだ。巻き網漁が禁漁の季節でも、他の漁ができれば、それだけ漁に出られる人が増えるではないか。それなのに昔のルールが「ルールだから」という理由だけで存続している。知れば知るほど不可解な話ばかりだ。
ルールの存在よりも私にとって腹立たしかったのが、肝心の漁師たちが矛盾を感じていないことだった。時代に合わないなら変えるように働きかければいいじゃないか。なぜ、初めから「そういう決まり」の一言ですませてしまうのか。
実は、この一漁船一漁法については、われわれが県内の漁協を束ねる山口県漁業協同組合に直談判し続けたことで、ルールが撤廃になった。撤廃といっても、正式にお触れが出たということではない。漁協がなにも言わなくなっただけだが、ここまで来るのに3年以上の時間がかかった。
最初は「働かないのはもったいないから漁に出てはいけませんか?」と打診してみたが、「ダメだ」の一言で終わり。ほとんど門前払いだった。2年目も同様。ここまでは私も耐えたが、もう我慢できない。長岡にこう言った。
「こんな意味のない決まりを守っていても仕方ない。廃業するよりマシやろう。萩大島船団丸の船は漁に出てほしい」
巻き網漁しかしていなかった漁船で延縄漁をするためには、船にそれ専用のローラーを装備しなければいけない。そこで急遽、地元の鉄工所に依頼して、改修をしてもらった。当然、費用もかかるが、先行投資だと思った。
ところが漁に出る直前で、大騒ぎになった。
「お前ら、なんしよるんか!?」
一漁船一漁法のルールを守っている漁師たちが噂を聞きつけて怒鳴り込んできたのである。