鮎川義介・日産コンツェルン創始者
 前回に続き、「ダイヤモンド」1934年3月1日号に掲載された日本産業(日産)の経営分析記事に対する、鮎川義介の反論インタビューを掲載する。記事の出た翌号の3月11日号に続き、3月21日号に掲載されたものだ。

 発端となった企業レポート「日産の変態経営」では、持ち株会社である日産に大阪鉄工所(現日立造船)、共同漁業(現日本水産)、東洋捕鯨(現日本水産)を相次いで合併させたことに疑義を呈し、「合併することで対象会社の評価を上げ、後日それぞれを分離するときプレミアム付きで売り出すという戦略ではないか」と予想している。また、「日産の多角化経営は木に竹を接ぐごときで、その間になんら事業上の連絡がない」と酷評。このまま拡大していく場合、鮎川1人でグループ全体に目配りができるかという点も指摘している。2回にわたるインタビューは、これらの疑問に鮎川が逐一反論する内容となっている。

 ところでダイヤモンドの記者は、インタビューの終盤で、鮎川をドイツのスチンネスになぞらえている。スチンネスとは、炭鉄業を祖業とするドイツ最大の財閥で、第1次世界大戦では軍需貿易でドイツの事実上の支配者とまで呼ばれた巨大コンツェルンだ。貪欲な企業買収とそれを担保にした借り入れでさらに買収するという手法で、20年にはシーメンスまで手中に収めるも、膨らんだ債務で25年に破綻した。

 それに対し鮎川は「スチンネスは一時、ドイツの国富の3分の1を獲得して権勢を誇ったものだが、彼の狙うところは私欲を満たすにあった。私の念願するところは日産株主の利益増進にある。スチンネスに比べるのは当たるまい」と答えている。

 そもそも鮎川の事業哲学は「終生富豪となることなしに、天職に精進しよう」であった(詳しくはhttps://diamond.jp/articles/-/218752)。スチンネスを引き合いに出されたのは、相当腹に据えかねたのではないだろうか。(敬称略)(週刊ダイヤモンド/ダイヤモンド・オンライン元編集長 深澤 献)

東洋捕鯨は古い会社ならではの
良さを生かす方が得策と思う

 東洋捕鯨は岡十郎さんが創立したものです。岡さんは私の一族に当たる人だから、その事業についてはよく理解していました。

──近年の成績は、不振の連続ですね。

「ダイヤモンド」1934年3月21日号より「ダイヤモンド」1934年3月21日号より

 うむ……現在の経営は駄目です。鯨族棲息の移動を察せずに、昔のままの捕獲法を採っているのだから鯨族は次第に遠ざかっていく。成績の良くなるわけはない。これからの捕獲は工船中心の作業でやらなければならぬ。

──ノルウェー辺りのやり方をまねるのですな。

 そうです。鯨族の沿岸に近寄ってくるのを待たず、大規模の工船を仕立てて遠洋に出て、そこに遊泳する鯨族を捕まえるのだ。

──北洋サケ、マス漁業が河口漁業から沖取工船へ進出したと同様ですね。

 それには莫大の資金を要する。工船は1万トン、2万トンの大設備を必要とし、1隻200万円の建設費を見込まなければならぬ。

──無力な東洋捕鯨にはできない相談ですな。

 今の東洋捕鯨は過去の隋力で余喘を保っているのみだ。捕鯨数は漸減して成績は次第弱りに帰する。金がないから、発展計画をやることが不可能である。

──そんなものを引き受けたところで足手まといになるだけで、少しも利益はないじゃありませんか、日産にとって。