科学の解像度は急激に上がっている
2014年、東京出張の折、国立科学博物館の横を通りかかったら、開催中の「医は仁術」展のポスターに目が釘付けになりました。
ポスターに使われていたのは、江戸時代の錦絵「房事養生鑑」。パイプを吸う女性の胸元ははだけていて、なんと内臓が働く人々に擬人化されています。
ある程度リアルに見えるのは喉から下に降りている骨と、畳まれたホースのような腸だけで、肺は「息」と書かれた箱だし、胸の部分は燃え上がる炎のような表現になっていたり、乳房に働いている人がいたりと抽象度が高いです。当然ながら、現代の医学の解像度には及ぶべくもありません。
これに対し、最新の医学書では、内臓が非常に詳細に描かれています。臓器の位置はもちろんのこと、血管の走行まで描写され、外科の開腹手術で見るのと同じ景色が再現されています。腸管内腔に生えている絨毛1本1本の構造までわかっており、絨毛を構成する細胞も、その細胞を作り出すタンパク質までもわかっている。
どこまでもミクロの世界を追いかけられます。たった200年の間にここまで医学は進歩した。科学や医学は時代とともに解像度が上がってきたと言えます。
構成因子すべてを語るのは無理
ここで先程の話に戻り、「『水曜どうでしょう』は私の青春でした」などという雑なまとめをしてしまった私・市原真が、実際にはどんな要素でできているのかを見てみましょう。
日本生まれ、札幌育ち、内視鏡病理対比が専門の病理医/細胞診専門医/臨床検査管理医である。ツイッターを頻繁に眺めている。ウェブラジオを主宰し、一般書や教科書の著作を持ち、ブログなどでも発信している。モンゴルに招かれて講演したこともあれば、キャンプにハマっていたこともある。マンガ『フラジャイル」が好きで、映画『この世界の片隅に』に感動し、ラガービールが好みで、英検2級を持っていて、浅生鴨の小説をよく読む……。まだまだあります。
僕を構成している要素は、果てしなくたくさんあるのです。
「水曜どうでしょう」は、僕の大好きなものの1つです。しかし、あくまで1つです。イベントで「『水曜どうでしょう』は僕の青春でした」と言って観客が盛り上がったのは、簡略化したほうがわかりやすかったからです。
僕を構成している全要素をすべて披露する必要はないし、伝えられるはずもないので、つい簡略化してしまった。
勝つのはいつも低解像度の話
この簡略化の罠こそが問題なのです。
医学の世界にいると、「水素水って効くんでしょうか」とか「ハーブはがんに効くのでしょうか」と聞かれることがあります。まず効くことはないのですが、それ以前に、そもそものご質問が、複雑な要素をすっ飛ばして単純化した尋ね方であることのほうが気になります
他にも、ときおり世の中に流布する情報に「ワクチンは毒である」というものがあります。ワクチンという人工物を体内に入れることによって、炎症や発熱、体調の悪化といった副反応が低い確率で起こり得るのは事実ですが、でもそれはワクチン摂取をめぐる要素の1つに過ぎません。なのに、「毒」という言葉だけを喧伝するのは、複雑な話を単純化しすぎています。
たとえばがんの場合、我々専門家は丁寧な診察や血液検査、画像診断などを駆使して病態を詳しく調べます。病態に応じた治療・緩和方法を見極めるため、あらゆる場合と可能性を高解像度で突き詰めたいし、それを市民の皆さんにも伝えたい。
「がんと戦うべきか否か」のような単純な二項対立図式ではないのです。ですから、「がんと戦わないほうがいいですか?」という質問をされると、医師としてはつい、「そういうことは、すべての要素を考慮しないとお答えできないですし、十把一絡げにこのやり方が正解と言えることもないんですよ」と答えてしまいがちです。
でも、当然のことながら、僕らが複雑に話した内容は、雑に単純化された解像度の低い話に負けます。「がんと戦うな」の方が強い。我々は圧倒的に分が悪いです。
1978年生まれ。医師、博士(医学)。病理専門医・研修指導医、臨床検査管理医、細胞診専門医。Twitter:病理医ヤンデル(@Dr_yandel)。著書に『Dr.ヤンデルの病院選び ヤムリエの作法』(丸善出版)、『病理医ヤンデル先生の医者・病院・病気のリアルな話』(だいわ文庫)、『どこからが病気なの?』(ちくまプリマー新書)、『ヤンデル先生のようこそ! 病理医の日常へ』(清流出版)、『まちカドかがく』(ネコノス)ほか。